2013年3月27日水曜日

カニャクマリの太陽

インドを囲む3つの海、アラビア海、ベンガル湾、インド洋が交わり、この広大な国インドで唯一、海から日が昇り、海へと日が沈む場所。

このことを知ったと同時に、僕はカニャクマリへの行き方を調べていた。そこはインド最南端の町。南に突き出したコモリン岬には、その聖なる海に身を清めようと、沐浴場がつくられた。

多くのヒンドゥー教徒たちが、そこを神聖な地と崇め、混沌とした海と、それを様々な色に染めながら、現れては消えてゆく太陽を拝めようと、人々は鋭利に尖ったインド大陸の先端を目指す。

カニャクマリは、いままでの町と違い、インド人向けの雰囲気だった。インド人にとっての生活品や嗜好品を、インド人に向けて売る店が多い。もちろん観光客目当ての客引きもいるが、量、しつこさともに他に劣る。この町で見るものといえば、海と太陽。そう言ってしまえばそれまでで、わりと何処でだって見れるものに、価値を見出す観光客は、あまりいないらしい。

町に着くや否や、海の方へ歩いた。とりあえずその聖なる海とやらを、この目で見てやろうじゃないか。町は小さく、海まではあっという間に行けた。

老若男女問わず、磯辺に造られた、小さく、でもどこか誇らしげに佇む、神殿のような沐浴場で、それは沐浴なのか海水浴なのか、とにかく楽しそうに海に体を委ねていた。足を撫でるほのぬるい海水が、はしゃぎ声に躍っていた僕の心を助長して、僕も海に入った。結局これは、何湾で、何海で、何洋なんだろうとか思いながら、すべての筋肉を一切波のやるように任せ、海月のように漂っていた。



町がほんのり橙を纏い始めたのは、18時ころだったと思う。南インドは、本当に日が長い。宿で昼寝をしたり、バナナを食べたり、露店を冷やかしたりして暇を潰していた僕は、再び岬へと足を運んだ。
そこには、およそ、この小さな町に訪れた人、住んでいる人、その全てが、水平線の向こうへ沈んでいく夕陽を見んと、同一の方向を、独りで、家族で、友人と、恋人と、様々な境遇で、でもそれは全く同一のものを、きっと全く違った捉え方で、見ていた。こんなにも人は太陽を見たいものなのかと不思議に、少しばかり馬鹿馬鹿しく思ったりもしたが、一度彼らと同じ方向に目を向ければ、その理由を示すには雄弁すぎるほど、真っ赤に膨れた夕陽が、所々雲に身を切られながら、空を染め、海を染め、岩を染め、浜を染め、僕らを染めた。それはその赤みと大きさをさらに増しながら、昼間よりもずっと速く進んだ。雲に隠れてしまい、水平線の向こうへ行ってしまってからも、空と雲にはその色が染み付いていた。
沈んだ陽は、同時に朝陽となりどこかへ昇り、そうやって朝と夜を作りながら、再び反対の海の方から、戻ってくるのだ。




なら、迎えに行ってやろう。



今度は翌早朝、朝陽となってやって来るという太陽を見んと、岬へ行った。
御来光というものを拝めたのは、これが初めてかもしれない。

岬には昨夕に劣らぬ人々が、今度は揃って東の海を見ていた。

その姿見せずに段々と紅色に雲を染めていく朝陽は、そのままその心開くことなく白き太陽となってから、僕らを日陰へと追いやるつもりなのかと思った頃、それは雲の優しさか、朝陽の僅かばかりの社交性か、一瞬、だがしっかりとその全貌を、僕らに晒したのだ。

朝陽は、美しく、力強く、希望に満ちていた。
この旅を始めた後、始める前、つまり、僕の人生において、僕がみたもの、そのどれよりも澄み切っていて、今その朝陽を取り巻く世界の状況そのどれも無関係に、ただ朝陽が美しかった。
そして、力強かった。何億回、何兆回も繰り返しても、尚且つその勢い衰えることなく昇り来る太陽の力強さを前に、僕はただただ無力で、打ち砕かれた。
そして、僕は洗い流された。その光は、僕の過去のすべての罪とか、悲しみとか、恥辱とか、一切を消し去り、僕の前途を照らした。それはまさに、希望の光だった。


コモリン岬でみた、この毎日どこかで起きている、そして起きてきて、尚も起きていくだろう、太陽が為す神秘に、自然の美しさ、歴史の重み、非力な僕らが考え抜いた全てのことの意味、そのどれもが詰め込まれ、表されているような気がした。










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