2週間のトレッキングをするため、ネパールビザの延長手続きを済ませ、宿のテラスで本を読んでいた。カトマンズは毎日快晴。日差しは強いが、湿度は低く、日陰はとても気持ちよかった。
その心地良さにページをめくることを忘れぼんやりしていると、白人に声をかけられた。
「この宿ってWi-Fi使えないの?」
ネパールは、電力の供給がとても不安定であり、そこらで停電や節電をしている。
僕の宿もそれに習い、Wi-Fiは17時からしか使えなかった。
そのことを伝えると、礼を言われ、何人か尋ねられた。
「Japanese」
と答えると、彼は嬉しそうに
「そうか!俺は日本人が大好きだ!フレンド。」
と言って、ハイタッチをした。
そして、小指と親指をたて、その親指を口に当て、クイッと上にあげる仕草をしてみせた。
「のもう。」
まだ昼の15時。酒好きな彼はロシア人だった。
彼の部屋にはもう一人友人がいて、3人でラム酒をのむことになった。
日本人の名前は難しいからと、RYOSUKEと紙に書いて見せると、独特のロシアン舌使いで僕の名を読んでいた。
「日本人はどこにでもいる。いろんなところで日本人と出会ったが、みんなとても親切だった。だから俺は日本人が大好きだ。兄弟よ、平和に、乾杯。」
素敵な乾杯の音頭だ。
日本人であることの誇りと、先の旅人たちへの感謝の念がこみ上げた。
ラム酒を2杯ほどのみ、タバコをふかし、適当に話をした。
また後でのもうと言われたが、
僕は明日早くにトレッキングに行くから、これが最後かもしれないと伝えると、
僕のノートにアドレスを書いてくれた。
「必ず俺にメールをよこせ。そして必ずモスクワに来い。友達とでも、恋人とでも、おまえ一人でもいい。おれがモスクワの全てを見せてやる!」
日も傾き始め、彼らは街に出ると言ってバイクにまたがった。
「どこへ行くの?」
と尋ねると、
「わからねぇ!」
と言って走り去って行った。
旅に出る前、行き先がわからないこと、それは僕にとって不安要素であったが、彼らはそれを楽しんでいた。
そして僕もそうとらえつつある。自由を求めて旅に出たのだ。それを楽しまないでどうする。
街は停電し、僕のこの先を暗示するかのように、暗闇の中裸電球がぽつりぽつりと灯っていた。
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