2013年3月26日火曜日

りょうすけ

なんとか生きて南インドにたどり着いた僕は、カトマンズの日本料理屋で出会った韓国人に教えてもらったPuducherryという所を目指した。僕がブログで『旅プレイリスト』を更新した場所だ。そこでも少し触れたように、そこは元仏領。色とりどりの洋風建築の家々が、街を彩る。

チェンナイからPuducherryまでは、直接行けばバスで4時間ほど。僕はその間にあるマハーバリプラムという、大きな遺跡のある小さな町に一泊したが、そこのことは割愛する。

プドゥチェリーについて知っていることは、またの名をポンディシェリーということぐらいで、見所も、地理も、本当に何も把握していなかった。

到着したバス停で、上品そうで、少しばかり裕福そうな男性に、安宿は知らないか尋ねたところ、「あっちの方にOcean Guest Houseという宿があるが、そこがいいらしい。」と言ってきた。自分の足で宿を探し回りたかった僕は、「あっちの方」ということだけ頭に入れて、礼を言って別れた。

「あっちの方」に行くと、確かにGuest Houseという看板がちらちらと現れた。しかしどこも、僕のこの餞別にもらったスペインの神様が刺繍された、皮の古びた小銭入れに入った、その小銭入れの雰囲気を崩さない貧相な額のルピーたちが賄えるような宿代ではなかった。

肩に食い込む13kgある55lのリュックによる乳酸が、南インドの灼熱の太陽を餌にして、僕の筋肉と焼けた肌を痛みつけてきたので、もう高めの宿に荷物を置いて代わりにこの小銭入れを痛みつけてしまおうかと思い始めた頃、目に飛び込んできたのは、『Ocean Guest House』の看板だった。

バス停の男が教えてくれた宿。見た目が小綺麗なことに少しがっかりし、駄目元でフロントに入ってみると、カウンターにはバス停のその男がいた。「やっと来やがったな!」と言ってるような含み笑いを浮かべる。そういうことだったのかこのちゃっかり野郎。ただ、この男は心の優しさがにじみ出てるような表情、口調、仕草で、僕に嫌悪感はなかった。そして、喜ぶべきことに、部屋が安かったのだ。刺繍の神の笑い声が聞こえたような気がしたのは、疲れているからで、すぐさまこの宿に決めた。

部屋に行く途中の階段に、日本人が座っていた。出会いというものは本当に不思議で、突然訪れるものではあるが、そのタイミングや人の種類は、自分の念によって確かに左右されているのではないかと思わせる。僕はこの地のことを誰かに聞きたかったし、日本語が恋しくなっていたのだ。

会社を辞めて、世界を旅する彼の名前は、りょうすけさん。同じ名前だ。話しているうちに、他にもいろいろな共通点がみつかった。同じバイト先、同じ境遇、インドを回るルートもほとんど一緒だった。栃木県出身ということで、地元の話でも中々盛り上がれた。共通点が多いから話しやすいのか、話しやすいからこうも共通点で話が弾むのか、とにかく、こんなに楽しく、時に真面目に語り合ったのは、旅に出て初めてのことだった。
シバ神の誕生日か何からしく、インドは祝日で、店はほとんど閉まり、街は眠っているように静かだったけど、そんなことはどうってことなく、充実した時間が過ごせた。

「必ずまた日本で会いましょう。」

別れたあとに強く感じた、自分が「独り」であるという感覚は、それが良い出会いであったということを示していた。


※僕がりょうすけさんと過ごした時間をもう少し詳しく知りたい人は、りょうすけさんのブログをご覧ください。
http://ryosukeoka.wordpress.com/2013/03/13/そ、そんなつもりは無かったでんす。本当です。/


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