2013年7月21日日曜日

イスラエル!!地獄の入国!

前々回の記事で、僕がイランの後に訪れた国の名前を挙げたけど、イスラエル入れるの忘れてた!

ごめんイスラエル!
イスラエル良い所だったよ!
ってことでイスラエルについて書こうと思う。

良い所とは言ったけれど、最初の印象は正直最悪。
イスラエルは入国審査が厳しいとは聞いていたけれど、想像の域を遥かに超えた。
僕がイスラエルのベングリオン空港に着いたのは夜中の0時前。飛行機を降りて、パスポートコントロールまで、あの長い道、どこの空港もたいていありますよね。動く歩道とかあるやつ。
その、パスポートコントロールまでまだ至らない手前で、いきなりセキュリティの人に捕まり、尋問される。これがまた長くてシビア。立ったままここですでに30分くらいは問いただされた。
内容は、
・イランで何したのか
・イランのどこに訪れたのか
・なぜイランに行ったのか
・イランに知人はいるのか
・カウチサーフィンで会ったイラン人の名前は何か
・イスラエルになぜ来たのか
・イスラエルのどこで何をするのか
・イスラエルに知り合いはいるのか
・カウチサーフィンで会うイスラエル人の名前と電話番号は何か

ご覧の通り、イランに訪れてしまったのが長い尋問の原因。でもそもそもアジア人が多くセキュリティの人に足止めされてた気がする。後で調べると、イスラエルの空港で暴れまくった日本人テロリストがいたらしいね40年くらい前。それが関係あるかは知らないけど。

やっとパスポートコントロールに辿り着くも、今度はパスポートを取られ待合室で待てと言われる。

ちなみに、イスラエルのスタンプがパスポートにあると、入国を拒否される国がいくつかある。周りのアラブの国(イスラム国家)にしてみれば、勝手に自分たちの土地に入って来て住みついて建国したユダヤ人は嫌い!だから。お察しの通り、イランもその一つ。
だからわざわざイスラエルのパスポートコントロールで「NO STAMP!!!!」って言わないと、中東旅行できなくなっちゃうよ!とか言われてましたが、今はもう旅行者にはイスラエルの審査官自ら、スタンプ不要かどうか聞いてきます。そもそも、「PLEASE STAMP!!!!」と逆に言わないとスタンプ押されないんじゃないですかね。

まーとにかく!僕は待合室に通されたんです。待合室には他にも人がいたので、スタンプの代わりに発行されるカードをもらうのに、旅行者は待合室で待たされるのかーとこの時は思ってた。

待合室には時々保安官みたいな人が来て名前を呼び、呼ばれた人は取り調べ室みたいなところに入っていった。
しかし!中々僕の名前が呼ばれない。
もう待合室の人は次の便の人に入れ替わってる。引き続き待たされているのは、僕とトルコ人家族くらい。

眠い。なんやかんやで3時間弱くらい待った。つまりこの時夜中の3時すぎ。
そしてようやく!僕の名前が呼ばれ、取り調べ室に案内された。

女性保安官が怖い顔して座ってる。
なんで怒ってんの?旅で会得した愛想笑いも全く通用せず、淡々と尋問された。内容は、上で挙げたものとほぼ同じ。もう少し掘り下げられたけど。


しかしここで僕はミスを犯す。
僕には、パレスチナ自治区に、会いに行こうと思ってた人がいた。
一方、テルアビブとエルサレムではカウチをする予定だったから、そのホストの名前を保安官に教えたとき、「もうイスラエルに知人はいない?」って聞かれた。この時は特に何も考えてなくて、尋問が広がるのが面倒だったのもあって、パレスチナ人の知人については触れずに「いないっす。」って答えてしまった。
しかし!僕は「イスラエルで何するの?」と聞かれて、「西岸地区(パレスチナ自治区)も行こうかなーなんて思ってます」と答えてしまい、ここから墓穴を掘ることになる。

以下、尋問の流れ。

保「なんで西岸地区行くの?なにすんの?」
僕「いやー実は、西岸地区に知り合いがいるんで、会いに行こうかと。」
保「さっきイスラエルにはもう知り合いいないって言ったよね?」

僕「だって西岸地区はイスラエルじゃないじゃん」

保「は?」

完全な失言!なんて危なく挑発的な失言!女性保安官のコメカミがピクリとしてました。ここから怒涛の質問攻め。
「誰がそんなん吹き込んだん?」
「西岸地区がイスラエルじゃないっていう根拠はなに?」
「お前の大学でそう教わったん?」
「それともイラン人がそう言ったんか?」
「それともそのパレスチナ人か?」
「そのパレスチナ人の名前と電話番号と住所教えろや」

とまぁこんな感じで結局尋問が長引き、1時間くらい閉じ込められましたね。僕は終始オロオロしながらその場しのぎな適当な答えで逃げ回っていたので、ようやく解放された時も保安官は疑惑の目で僕を見ていました。

そしてようやく!ようやく!
明け方午前4時頃、僕のパスポートが返ってきました。気づけば待合室で待たされて取り調べなんてされてたのは僕だけになってました。

入国できれば問題なーい!
コンベアーから放り出されたバッグを背負い、意気揚々とアライバルロビーへ!

しかし…

また捕まる(´・_・`)

今度は荷物検査のおっさん。
僕の大きなバッグを機械に通しても納得出来なかったらしく、ここで広げろと言ってくる。
まじかよ…。イスラエルが遠い…。

チャックに付いてる鍵を取ると、ガサゴソと勝手に探り出される。僕はただ傍観しながら、「これはなんだ?」という質問に答える。

と、ここでイスラムに関する本が出てくる!
前回の記事で触れた、トルコで出会ったムスリム一家の奥さんに、「これを読めば、きっと貴方の人生が良くなる。神を信じてみて欲しい。」と渡された、イスラムの教えやムスリムの体験記が書かれた本5冊だ。

ここまでの尋問で、「お前はムスリムか?」と何度か聞かれたので、この本が出てきた瞬間に、「僕はムスリムじゃないよ。それはムスリムの知人にもらったんだ」と先に言ってやった。

すると、

荷「だからなんだ?ムスリムだったらなんだっていうんだ?」
僕「いや、ムスリムかどうか前の尋問で聞かれたから(イライラ)」
荷「ハッ!俺が今何を探してるか分かるか?麻薬だよ。お前は麻薬を持っていないか?」
僕「NO!! 持ってるわけないだろ」
荷「ハッ!持ってても"Yes"と言うやつなどいないがな!」


ハァアァぁ!?
絶対僕が何も言わなかったらムスリムかどうか聞いただろ!てかなんだよ麻薬のくだり!じゃあ持ってるかどうかなんて聞くなよ!

苛立ちが最高潮に達して、ようやく、今度は本当に、解放されて、アライバルロビーに出られた。もう外は明るくなっていた。

さて、どうやって街にでよう。電車もバスも空港に止まる様だから、きっと簡単だろう。
両替所の人にテルアビブ市街への行き方を尋ねる。

「今日は土曜日。安息日だから電車もバスも夜の21時30分まで動かないよ。」





え?






え?




何言ってんの?まだ朝の5時過ぎだよ?

タクシーならあるらしいけど足元をみて高額な料金を請求してくるらしい…。
土曜着の航空券だけ何故か安かったのは、こういうことだったのか…。

結局僕は、21時30分まで空港の中で待ったのであった。
到着時から計算すると、ざっと20時間以上空港に居たことになる。

これは、昆明の空港での記録、17時間を上回り、空港滞在時間記録歴代第1位に輝いた。

その間にも、僕は軽い尋問を2人くらいから受けた。しかし今度は暇すぎて、わざと怪しげな動きをして尋問を招いてやろうかと思うほどだった。


これが僕の、イスラエルでの1日目。心身共に削られたよ…。

なんかもうイスラエルの街、テルアビブやエルサレムについては書けなかったけど、本当、イスラエルは観光するには面白い所たくさんあります!

物価は高いけど、小さいチョコクロワッサンは安くて美味しいし、テルアビブの街並みは現代的なオシャレさがある一方、三大宗教の聖地であるエルサレムは歴史を感じる古き良き街並み。死海なんてどう足掻いたって浮いてしまうのが楽しすぎる!目に海水入った時は失明を覚悟するほどの激痛!
行ってないけど最南端は紅海に面していて、ビーチと海がめちゃくちゃ綺麗らしいです!イケメン、美人も多し!

厳しい入国審査もネタにできる良い経験と思えば、訪れる価値しかないぞイスラエル!褒めすぎた!






2013年7月17日水曜日

最近ニュースをみて思うこと

もう1ヶ月前になるけど、僕はトルコにいた。

トルコに抱いていたイメージ、それは「親日国」。みんな日本が大好きで、日本人と言えば優しくしてくれる。そんな楽観的なイメージを持っていたな。

そして結論から言うと、別にそんなことは無かった。女性にモテた、優遇された、そんな経験はこれといって僕には起きなかった。
トルコ人の男性に限って言えば、彼らは女性好きだ。親日ではなく、「親日本女性」というべきほどに、日本人女性に対するトルコ人男性の待遇は良かった。
例えばホテルで、借りるのに5リラかかるタオルを、すんなり日本人女性が無料で借りていたり、明らかに口調が日本人女性には柔らかかったりした。

トルコ人はお金にもシビアで、いつものノリで値下げ交渉したら、ガチギレされて店を追い出されたりした。

「貧乏」でそれでいて「男」なんて、日本人だろうとなんだろうと鬱陶しがられる。どれもイスタンブールでの経験だけど。

そんな、少々がっかりさせらたトルコで、誰よりも優しくて、暖かい人々に、僕は出会えた。

パムッカレという観光名所から100kmほど離れた小さな町に住む家族だ。

彼らは敬虔なイスラム教徒だった。
そして彼らのそのホスピタリティは、紛れもなく、イスラムという宗教に基づくものだった。

僕が今更ながら彼らのことを紹介したのは、単にその思い出に浸りたくなったからではなく、いま中東と呼ばれる地域が、とても混乱しているからだ。

イラクの北部での爆弾テロ、米軍によるパキスタンやアフガニスタンへの攻撃、エジプト軍によるクーデター、トルコでのデモ。

これらの混乱で、いつも大きく報じられているのは、イスラム教。

まるでイスラムは悪で、攻撃的である。少なくとも日本にいた頃、僕はそんな印象を抱いていた。
もし、日本にいる人が、今、そんな風に感じているのなら、僕はそれは偏った報道による、偏った意見だと思う。

僕も混乱の原因を詳しく知っているわけではないけれど、宗教が、それを信じている人々が、根本的な争いの原因になるというのは、違う気がするんだ。

ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教。いろんな信仰を持つ人と出会った。

いつだって、宗教は人々の生きる糧で、信じる人を強く、優しくて、社会に包容を与えていた。
宗教はそういう風に出来ていた。

結局、国と国との争いや、政治を揺るがす内乱なんて、人間のエゴとエゴのぶつかり合い。宗教間の争いなんて、都合の良い後付の理由に過ぎない。その表面だけを鵜呑みにすると、本当に宗教間でいがみ合ったり、宗教を蔑んだりする空気が生まれるんじゃないかな。

その裏に隠れてる、いや、意図的に隠されている狙い。人間の欲望。それは何なのか。色んな情報を得よう。

それが分かったからなんだ。
何の解決にもつながらないし、僕にできることなんて何もないかもしれない。ただその欲望の渦に飲まれたり、遠くから眺めたりするだけで、余計に苦しくなるだけかもしれない。

でも偏った浅はかな判断で、あの宗教が悪いとか、あの人種が悪いとか言ってたら、今度はそれがほんとに根本になって、肥大した欲望と絡み合って、取り返しがつかなくなりそうで、怖い。混乱してる今だからこそ、知って、認め合う時なのだと思う。

もうすぐ5ヶ月

久々の投稿。
イランから何も書いてなかった!

これまでのブログは、毎日色々感じたり、小さな発見がある中で、特別にビビっと来た感覚や考えを書いてきたんだけど、ここから先はもう少し気を緩めて、滞在していた街の様子や、旅の情報を発信して行こうかなと思っています。

旅中の情報収集で、何よりも力になるのが、ガイドブックでも、外務省のHPでもなく、実際にその国に訪れた人の情報ノートやブログ。僕も既に何度も助けられました。
僕の経験や、僕が得た情報も、ただ僕の中だけで終わるよりも、誰かの助けになったら、これほど嬉しいことはありません。
今更ながら情報を記録しておくことと、それを発信して行くことって大事なんじゃないか?!と思い、Twitterも活発にやろうかな!と意気込んでいます。

さらには、今は人と一緒に回っているので、良くも悪くもあまり考え込まずに、楽しもうぜ!みたいなノリにあって、今まで書いてきたようなネタが浮かばないのも理由の一つです。

もちろんまた何か特別に思うことがあればここに記して、より濃いブログになればいいかななんて思った。

さてとりあえず、イランを出て僕は、
トルコ→ブルガリア→ギリシャ→マケドニア→セルビア(now)です。
いつの間にかアジアを終えて、ヨーロッパに入っています。

ヨーロッパは今のところ非常にイージー。
国境は全部バスの中で待ってれば運転手が済まして来てくれる!
東は物価も安くて最高です。

こんな久々に満たされた中で、次の大陸アフリカについて調べれば、俄然やる気が無くなるのも当然ですね。

ビザが面倒、賄賂が高い、政情が不安定、治安が悪い、黒人が強いなど、調べれば挙がるものは不安要素ばかり。
無意識に、スペインからの帰国の便を調べちゃうほど。

とりあえず今の段階で決めた西アフリカルートを掲載するぜ!

モロッコ
西サハラ
モーリタニア(ビザ@スペイン、モロッコ)
セネガル(ビザ@ネット?要調査)
ガンビア(ビザ@セネガル国境)
ガーナ(ガンビアからフライトイン。ビザ@セネガル)
トーゴ(ビザ@国境)
ベナン(ビザ@国境、アクラ)
カメルーン(ベナンからフライトイン。ビザ@空港)
ガボン(ビザ@カメルーン)
南アフリカ(ガボンからフライトイン)

なに?モロッコと南アフリカ以外知らないって?僕もだぜ!

早速ここで、僕に情報発信の使命が課せられた。
というのは、上のリストにあるセネガル。この国、西アフリカでは唯一?日本人観光ビザ不要の国として、西アフリカでは人気(誰に?)の国だったんだけど、なんと今年の7月(2週間前)からビザが必要になったぜ!
めんどくせっ
もちろんビザ取得情報はまだ皆無に等しい。
セネガルビザ海外取得パイオニアに、なってきます!