2013年5月27日月曜日

美しい遊牧民

青く美しいイシク=クル湖。それを囲う山脈は白く輝く。緑の丘は、暖かな日の光を浴びて、鮮やかな緑のコントラストをもって、その豊かな緩急を表す。この目の前に確かに広がる、宝石と見紛うようなキルギスタンの自然を、より確固たるものにしたくて、言葉にしようと試みれば、それがあまりに浅はかで、愚かな行為であると諭され、僕は言葉でも、感情でもない次元で、その雄大な自然の美しさを感じるのだ。

自然は美しい。

湖沿いの小さな村、ボコンバエワから山の方へうねる砂利道を15kmほど進むと、ボズ=サルクンと呼ばれる高原に辿り着く。純白を纏った山が、ぐっと近くなる。

馬に乗った遊牧民が、犬を従えて、羊を誘導する。何十匹もの羊が、一斉に右へ、左へ、彼らの思うように進む。
遊牧民は、風と共に、山と共に、生きていた。

彼らを見ていると、これまで抱いてきた、「自然は美しい」という考えに、亀裂が生じた。

人間である彼ら遊牧民も、美しかった。それはキルギスタンの自然に感じたものと同じ美しさだった気がした。
と同時に、きっと無意識に、目を背け、忘れたふりをしていた事実に気づかされた。

人も自然の一部なのだ。

この大地、水、空は、僕とは別世界でも、他人事でもなく、僕はその一部で、それらは僕の一部なのだ。
それならば、ただ美しいと傍観するだけでなく、責任や使命やあるべき姿がこの僕にもあるのだ。
僕は、そのことに向き合おうとしていなかった。僕のやることなすことは、ヒマラヤ山脈とも、インド洋とも、キジルクム砂漠とも、無関係のこととして生きてきた。きっと多くの人がそうではないだろうか。
しかし、人と自然は、切っても切れない関係なのだ。自身について自覚のないことは危険だ。いつからか、人のためは自然のためじゃなくなり、自然のためは人のためではなくなった。僕らはこのズレを、修正しなければならないのではないだろうか。
利益をひたすらに追求し、短いサイクルで消費することを良しとした社会で生きてきた僕らにとって、それは難しいことかもしれない。
けれどそれは、地球の自然を共有する者として、本来当然のようにこなすべきことで、つまり、至極シンプルなものなんじゃないだろうか。


広く美しい高原を踏む僕の足元には、誰かの捨てたペットボトルが転がっていた。

2013年5月11日土曜日

ヤラレタ

ゴミ一つ落ちていない綺麗な街並み。遠くにそびえる雪を纏った山脈。日光は枝の間を抜けて木漏れ日となり歩道を包む。

そんなのどかな街中で…
僕は顔を真っ青にして、忙しなくバッグの中を漁っていた。
「嘘だと言ってくれ…」
ひと掻きすれば全て見えてしまう小さなバッグの中を、何度も、何度も、取り憑かれたように掻き回していた———。



その日、僕はもうビシュケクの街にも大分慣れて、イシク•クル湖への旅程も決まり、ウキウキしながら銀行を探していた。
なぜ銀行を探していたかというと、米ドルが切れかかっていたからである。キルギスでも、ツアーなどでは特に、米ドルが使えるし、もっと先のことを考えても、米ドルは持っていた方がいい。イシク•クル湖周辺の村はまだまだ未発達であると聞き、ATMや両替所が十分に無いかもしれない。向こうでトレッキングツアーなどに参加するかもしれないし、降ろせるうちに早めに降ろしておいた方がいい。用意周到である。


キルギスソムも少し降ろしておいた方がいいだろうか。今いくらあるか財布の中を確認する。
ビシュケクでは、国境でカザフスタンのテンゲを両替した分で生活出来ていたため、
ビシュケク初日でATMから降ろした5,000ソム(10,000円相当)にはまだ手をつけていない。これは普段バッグの中に眠っていて使っていない財布の中に入れていた。イシク•クル湖観光はこの財布をメインに使ってやりくりするつもりだった。

1,000ソム札と、500ソム札と、200ソム札がそれぞれ何枚ずつあるのかも確認しておこう。我ながら全く抜けめない。



1、2、3、4……………………
…………………………………
…………………………………
…………………………あれ?

いやいやいやいやいやw

1、2、3、4……………………
…………………………………
…………………………………
…………………………あれ?

2,200ソムしかない。
そんなはずはないだろう。
よし、一度記憶を辿ろう。冷静になって。深呼吸だ。キルギスタン着いた日から、今日まで。何に、いくら、使ったか。
案外なんか使っちゃったんだっけかなー?
ああでこうでと思い出す。

うむ…………
やっぱりこの5,000ソムには手を付けてないぞ!!!

そうとわかればもう一度数えればしっかり5,000ソムあるはずである。だって手付けてないんだもんあたり前だろ。

1、2、3、4……………………
…………………………………
…………………………………
…………………………あれ?

やっぱりいくら数えても2,200ソムしかない!!!!
なんで!!!!どゆこと!?!?!?

・・・・まさか!!!!


ー以下 回想ー

あれはそうまさにキルギスタンに着いた日。この5,000ソムを降ろしてわずか30分も経っていない頃、僕は何をしていたかというと、職務質問を受けていた。

決して、奇声や奇行をしていたわけではない。ただ大きなバッグを後ろに背負い、小さなバッグを前に抱え、金髪であっただけである。

まだ宿も決まっておらず、朝早い時間であったため店も開いておらず、行くあてもなくふらふらしていたら、おっさん2人に握手を求められた。めんどくさいけど応じると、「警察だ」と言って手帳を突きつけてきた。

しかし僕は動じなかった。中央アジアの国で、外国人が職務質問されるというのはよくあると聞いていた。手荷物を検査させろと言うので、素直に従う。
変に怪しまれて、長引くのも面倒だったので、気さくの良いふりをして、要求されたものは堂々と、財布でも何でも差し出した。

ー回想 終了ー


そう、犯人はあの警官2人だ…!!
やけに何回も何回も財布の中をゴソゴソチェックしてた…
一回チェックし終わっても、「これは財布か?」とか言って再チェックには手抜かりがなかった。
「財布だっつってんだろ!」と思ってイライラしていた僕。油断していた…。


Ω<いやいや警官が犯人って被害妄想も良い所だろ。

違うんです!
警官が観光客から金銭を奪い取るというのはこれまた中央アジアではよくあること。特にキルギスタンの警察は腐敗していて、ギャングといっても過言ではないのだ。

Ω<それ知ってたんならもっと気をつけられたんじゃないの?

そうだけども!
いやなんかイメージしていた警官泥棒は、警官という身分を良いように使ってもっと無理くり「金出せ!出さなきゃ逮捕!」みたいに来るのかと思っていて…
まさかあんなお手柔らかな職務質問で近づいてきて、しかも全額でない金額抜き取るなんていう狡猾な知能犯のような手口で来るなんて…。

といってももちろん信用していたわけではなかったから、常にやつらの手元を見張っていたつもりだったし、警官が去ったあとも財布の中確認したんだよ!

けれど2人のうち片方話しかけてきたり、イライラしてたりで、気が散っていた瞬間があったのかも…。
財布の中の確認も全額数えるまではしなかった…。ソム札が入っていることに安心してしまった…。



あーくそっ!なんだよ!
やつらとの別れ際爽やかに笑顔で「パカ(じゃあね)」とか言ってしまったよ!
僕が悪いのか?!いや僕が悪いなんてあんまりじゃなか!?
あいつらが悪いに決まってるだろ!
いやでもやっぱり自分でしっかり確認してれば防げた損害なのでは…
しかし問い詰めた所であの2人が素直に白状したとは思えない…



ー以下 妄想ー

∑(゚Д゚)「2,200ソムしかない!おーいちょっとあんたら!」

(´・_・`)´・_・`)「なんだなんだ?もうお前に用はないぞ」

(´・Д・)「いやいや財布から金減ってるんですよ。さっき降ろしたばっかだしまだ一銭も使ってないからあんたらしかいないんよ。金返して」

(`ω´ )`ω´ )「なんだお前は!警官を盗っ人呼ばわりとか舐めてるのか!署まで来てもらおうか!」

ガチャ

Σ(゚д゚lll)「な?!」

ピーポーピーポー

署にて

(`ω´ )`ω´ )「まだ俺たちを盗っ人呼ばわりする気か!証拠でもあんのか!」

(♯`0´)「だって現にお金が財布から無くなってるんですよ!」

(`ω´ )`ω´ )「まだ言うか!罰金としてお前の所持金全額没収だ!」

Σ( ̄Д ̄ノ)ノ「ヒエーッ」

(`ω´ )`ω´ )「カメラも没収だ!」

Σ( ̄Д ̄ノ)ノ「ヒエーッ」

(`ω´ )`ω´ )「iPhoneも没収だ!」

Σ( ̄Д ̄ノ)ノ「ヒエーッ」

そして強制帰国へ…


ー妄想 終了ー



こうなっていたに違いない!
こうなることと引き換えに2,800ソム失ったんだ。2,800ソムを代償にして、僕は未踏の旅路を固守したんだ。


それならむしろ軽い方じゃないか!
なんて軽い被害!むしろ以後気をつけようという注意深さがより洗練されたことを考えると、±プラスなんじゃないか?
誰も悪くなんてない!いやもともと悪いことなんて起きてなかったのだ!
軽いどころか無害だ無害!
下手すりゃ有益な出来事だったと言っても妥当だ!


「あーなんて僕はラッキーなやつだー。」
顔面蒼白、鬼の形相でガサゴソとバッグと体を弄っていた僕は、自己防衛の思考が導き出した牽強付会な結論に、今度はニヤニヤしていた。
きっとその姿は気味悪く、職務質問されるなら、この時だったと思う。




2013年5月2日木曜日

温外知内

僕はインドに何の未練もなかった。
行き尽くしたなんて思っていない。インドのほんの一欠片も知っちゃいないことだってわかってる。

けれど、日もまたいだ真夜中、国民的英雄の名前が付けられたデリーの空港で、僕の胸に湧くものは、まだ見ぬ新たな土地への期待と好奇以外はなかった。


ウズベキスタン。中央アジアに位置するイスラム国家。サッカー好きな僕には、耳馴染みある国名。
首都のタシケントに着いたのは、薄明の早朝。初夏のインドから来た僕の服装には不釣合な風が吹いていた。

ここでは、ゴミ一つ落ちていない道を、セーターを着込んだ人が歩き、無駄に車幅の広い道路には、風に鳴く緑の並木。
つい数時間前までは、牛も犬も人間も一緒になって闊歩して、進めないほど混み合った道。それらが撒き散らす糞尿とゴミを、ヒビ割れた踵で踏みながら、銭をせがむ乞食。
気温も情景も温度差がありすぎて、次々と突きつけられる現実は、まるで雲のように掴みづらかった。


シルクロードを辿るように、ウズベキスタンの古都を巡った。
それらを結ぶ道は、低木が転がるように生える砂漠の中を、直向きに伸びる。空には魚のように雲が泳ぎ、そいつが時折太陽を食べては、ひとときの涼味を僕らに与えた。


それぞれの古都には、古のイスラーム建築物が、威厳と彩りを街にもたらしている。

特に、マドラサという宗教学校を指す建築物に付随するアーチに青いタイルで施された模様の美しさと抜かりなさには、度々息を飲んだ。
サマルカンドとブハラにあるマドラサに、人面のある太陽が描かれているものがある。至る所に神々の姿がみられるインドとは異なって、イスラム教では偶像崇拝は禁じられている。その教義に反したこの模様は、当時の支配者が、己の権力を誇示するためにつくらせたものらしい。驕り高ぶったその先で、人は勘違いを繰り返し、時に信ずるものを裏切ったりして、いずれ散っていく。この絵にみたそんな人の脆さは、滑稽ですらあった。

しかし、西の都ヒヴァの町を囲む城壁に登って、街に沈んでいく夕日を眺めていたときに、ふとその調子付いた支配者と自分が重なったのをみた。
澄んだ空気に輪郭を崩さず落ちていく太陽が放つ、夜の前の僅かな光のあがきの中で、街は静かだった。この生気のない街並みと肌寒さは、インドの喧騒に揉まれて忘れていた寂しさを、僕に思い出させてくれた。
インドは、あたたかかったのだ。寂しさを感じなかったのは、あの溢れる生命力の、ぬくもりに包まれていたおかげなのに、それを「僕は強い人間である」などと勘違いしては、人を信じることや、支えてくれている人の存在を疎かにし過ぎていた。
橙に染まったヒヴァの街は、僕が太陽に顔を描く前に、僕の弱さを知らしめてくれた。

遠くや近くにいる誰かの支えの中で、時にそれにしがみつきながら、僕はようやく生きている。日本にいたときからずっと、僕は自惚れていたのかもしれない。

城壁から見渡すヒヴァの街は、昼間歩いてみて感じていたものより、ずっと小さかった。
外側に出てみて初めて見えるものは、内側のことだったりするのだ。