トルコに抱いていたイメージ、それは「親日国」。みんな日本が大好きで、日本人と言えば優しくしてくれる。そんな楽観的なイメージを持っていたな。
そして結論から言うと、別にそんなことは無かった。女性にモテた、優遇された、そんな経験はこれといって僕には起きなかった。
トルコ人の男性に限って言えば、彼らは女性好きだ。親日ではなく、「親日本女性」というべきほどに、日本人女性に対するトルコ人男性の待遇は良かった。
例えばホテルで、借りるのに5リラかかるタオルを、すんなり日本人女性が無料で借りていたり、明らかに口調が日本人女性には柔らかかったりした。
トルコ人はお金にもシビアで、いつものノリで値下げ交渉したら、ガチギレされて店を追い出されたりした。
「貧乏」でそれでいて「男」なんて、日本人だろうとなんだろうと鬱陶しがられる。どれもイスタンブールでの経験だけど。
そんな、少々がっかりさせらたトルコで、誰よりも優しくて、暖かい人々に、僕は出会えた。
パムッカレという観光名所から100kmほど離れた小さな町に住む家族だ。
彼らは敬虔なイスラム教徒だった。
そして彼らのそのホスピタリティは、紛れもなく、イスラムという宗教に基づくものだった。
僕が今更ながら彼らのことを紹介したのは、単にその思い出に浸りたくなったからではなく、いま中東と呼ばれる地域が、とても混乱しているからだ。
イラクの北部での爆弾テロ、米軍によるパキスタンやアフガニスタンへの攻撃、エジプト軍によるクーデター、トルコでのデモ。
これらの混乱で、いつも大きく報じられているのは、イスラム教。
まるでイスラムは悪で、攻撃的である。少なくとも日本にいた頃、僕はそんな印象を抱いていた。
もし、日本にいる人が、今、そんな風に感じているのなら、僕はそれは偏った報道による、偏った意見だと思う。
僕も混乱の原因を詳しく知っているわけではないけれど、宗教が、それを信じている人々が、根本的な争いの原因になるというのは、違う気がするんだ。
ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教。いろんな信仰を持つ人と出会った。
いつだって、宗教は人々の生きる糧で、信じる人を強く、優しくて、社会に包容を与えていた。
宗教はそういう風に出来ていた。
結局、国と国との争いや、政治を揺るがす内乱なんて、人間のエゴとエゴのぶつかり合い。宗教間の争いなんて、都合の良い後付の理由に過ぎない。その表面だけを鵜呑みにすると、本当に宗教間でいがみ合ったり、宗教を蔑んだりする空気が生まれるんじゃないかな。
その裏に隠れてる、いや、意図的に隠されている狙い。人間の欲望。それは何なのか。色んな情報を得よう。
それが分かったからなんだ。
何の解決にもつながらないし、僕にできることなんて何もないかもしれない。ただその欲望の渦に飲まれたり、遠くから眺めたりするだけで、余計に苦しくなるだけかもしれない。
でも偏った浅はかな判断で、あの宗教が悪いとか、あの人種が悪いとか言ってたら、今度はそれがほんとに根本になって、肥大した欲望と絡み合って、取り返しがつかなくなりそうで、怖い。混乱してる今だからこそ、知って、認め合う時なのだと思う。
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