2013年3月22日金曜日

僕とバラナシ

僕はバラナシを、歩いた。

頭に地図を描きたくて、歩いた。
混雑とにおいに嫌気がさして、対岸を歩いた。
朝食のパンを求め、歩いた。
犬に吠えられ、ハエに追われ、牛の糞を踏み、片言の日本語を無視し、地面に干されたサリーをよけて、歩いた。

時に死者を弔う行進とすれ違い、時に道を教えてくれた少女と共に童心に帰り、歩いた。


そして、沐浴場に腰を下ろし、ガンガーを眺めた。絡まるように乱立する寺院がつくる日陰に座った。太陽に焦がされた体をガンジス川に浸した。

僕は、ただバラナシに在った。
そして僕は、バラナシに飽きていた。
でもそれが居心地良かった。
僕は、ただバラナシに在った。

それだけ。ただそれだけで、バラナシは、いろんなことが起こるのだ。

聖なる生活を求め、あらゆる物を捨て去り、身に纏う物といえば、腰布と、笛の入ったオンボロの麻の鞄と、誇らしげに伸びた髭だけになった、ババと呼ばれるガンジス川沿いに棲息する人種の男に、バラナシの名の由来を聞いた。

骨を拾い集めては、それを一日中磨いてはたまに色をつけたり、なにやらかを施したりしているロシア人と出会い、対岸で拾った何かの骨で、ネックレスを作ってもらった。
「君がそれにみた価値を、君なりの形で表現してくれればそれでいい。物でも、君の国のコインでも、言葉でも、なんだっていいさ。」
お礼はいくら支払えばいいか尋ねると、彼はそう答えた。

全裸で生活をする者や、サリーに包まれた女性たち、インドの衣装を纏う観光客の中で、お洒落ににTシャツとジーンズを着こなすムスリムの青年と出会い、鼻の中が真黒になるまで、バイクでバラナシを駆け回った。
一日中笑って過ごした友達に、別れ際
See you someday
と言ったら、
When?
と答えた彼の切なげな目に、返事を出来なかったりした。

宿の屋上でヒッピーの奏でるギターの音色と、どこの国の言葉で何て言っているのかわからない歌声に、うたた寝をしたりした。

燃えて骨と灰になっていく亡骸を前に、死という逃れようのない事実を、悲しみも、さみしさも、こわさも伴わずに、ただただ無邪気で、素直に、受け入れた。



きっと、全ての物、人に、歴史があり、ストーリーがある。

けれど、このバラナシに混沌と在る全てのそれらには、強烈な引力があって、それは僕の意識まで支配して、この地に転がる数多のなんらかの機会と関わることは、実は僕の自由の範疇ではなくて、いつの間にか、気づかぬうちに、僕はバラナシの手の中で、転がされていたような気がする。


でもそれが良かった。
僕はバラナシに惚れていた。

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