2013年3月19日火曜日

インド入国、バラナシ

ルンビニで同じ宿だった日本人のユウヤさんと、インドに入国を予定している日が同じであったため、彼と一緒に、朝早くから国境の町スノウリを目指した。

ルンビニからスノウリまではバスとリキシャを乗り継いで、1時間もしないで着ける。
インドとネパールを物理的に隔てているのは、アーチ状の welcome to India と書かれた建物だけであり、イミグレーションなど介さずとも容易に通れるように思えた。

ただ、つながった空間は、そのアーチを境に、全く表情を変えた。
ネパール側はあまり活気のない小さな町で、砂利道が続く。
インド側はものすごいゴミの量で、臭い。しかし店は多く、道もわりと綺麗に整備されていた。

乗り合いジープに乗り込み、途中チャイ休憩をとり、渋滞にはまり、何頭もの牛を追い越したりして、ゴラクプルという街の駅に着いた。
ここから電車に乗り、僕はバラナシへ、ユウヤさんはコルカタを目指した。

電車のホームには、インド人がごった返していたが、外国人の姿はなく、皆がモンゴロイド顏でありながら金髪の僕を、好奇心に全身全霊を捧げて凝視してくるから、そいつら一人一人を睨み返しながら時間を潰していると、その僕の暇つぶし相手の一人が声をかけてきて、丁寧に電車の乗り降りのアドバイスをくれたのである。

しかし、僕が舐めていたのは、そのインド人の好奇心でもなく、電車の座席のテキトーさでもなく、ゴラクプルからバラナシへの距離だった。
日本という、小さな島国であらゆる感覚を育んできた僕は、インドという広大な国の中での距離感を掴むことに失敗した。
地図で確認すれば、ゴラクプルからバラナシなんて、およそ電車で2時間くらいだろうと思っていたことが、その失敗のつまるところで、インドは巨大だった。

結局、6時間ほど僕は電車に揺られた。
それは、車掌が運転をサボったわけでも、人身事故が起こったわけでもなく、ただそれだけの距離だったということである。

13時に走り出した電車に座った僕は、15時すぎにはバラナシに着くだろうと踏んでいて、優雅に風に吹かれ景色を眺めながら、どんなとこに泊まって何を食べようかなど能天気に考えていたのだが、実際バラナシに降りてみると、辺りは暗かった。

インドについて知っていることといえば、インドに関するブログに書かれたバラナシの大きな交差点の名とガンジス川くらいだったので、いささか僕は不安になった。

とりあえず、その交差点をリキシャに伝え、バラナシを進んだ。

クラクションがもう意味をなさないほど鳴り散らかる道を、渋滞にはまりリキシャを手で押したりしながら、無理矢理進んだ。

そんな中不安が募る一方の僕は、不覚にも、匂い、街並み、言葉、人間、バラナシをつくるどこかに、非インドを求めていた。どこか観光客向けの、浅草の仲見世通りとか、カンボジアのパブストリートとか、そんな場所を探した。

しかしこの欲求を満たすことなく、インド人で溢れる中をリキシャは進んだ。
進んだ。もう随分と進んだ。
まさか、このリキシャのジジイは僕が止まれと言わない限り、僕と旅を共にする気なのではないかと疑い始めたころ、リキシャは止まった。

ただそこには、非インドを求めていた僕が、実は1番求めていた、僕にとってのインドそのものが、無かった。

ガンジス川だ。

それはこの時の僕にとって、インドであり、バラナシであった。

宿よりも、観光地よりも先に、その姿をみたい。インドに来た確信が欲しかった。

もうすっかり夜だったけれど、リキシャのオヤジにガンジス川までの道を聞き、歩いた。

なんでこんなにも川が見たいのだろう。
やはりガンジス川には人を惹きつける何かがあるのか、それともただの僕のエゴであり、自己満足の為なのか。とにかく必死に歩いた。

15分くらいして、ようやく、姿を見せてくれた。
ガンジス川。もう22時を過ぎていた。
川沿いは街灯が灯り明るかったが、川は向こう岸が見えないほど暗かった。
犬やら牛やら、その糞やらが転がり、それに同化するように家なき人も転がり、静かだった。

なんにも実ってはいないのだけれど、大きな達成感を覚えた。



…さて。
川は広くてながい。ゲストハウスは見当たらない。右に行くか左に行くか。
あてもなく、右に行った。
最悪このうんこと一緒に野宿でもいいや。
達成感からか、疲労からか、そんな大胆な無気力さえあった。

少し歩くと、反対側から欧米人が歩いてきたので、安宿を知らないか尋ねた。
すると、彼らの宿の屋上にベッドがあって、そこでもいいなら50ルピーで寝れると言われ、一度野宿も決意した胸に、好奇心とヤケクソという名のチャレンジ精神も加わり、彼らについて行った。

川を右手に10分ほど歩いた。
突然、大きな寺のような建物が表れた。炎が揺れ、モクモクと煙が上がっている。もう深夜近くとなり、全ての店が閉まっていても、そこは異様な活気を保ち、熱と光を帯びていた。

火葬場だった。
誰がそう言ったでも、看板があったわけでもなかったが、そうわかった。

そのすぐ真裏が、彼らのゲストハウスだった。

言われたとおり、屋上に上がると、そこはレストランになっていて、目の下で燃え盛る火葬場とは裏腹に、酔いの回ったオヤジ達が大音量で音楽をかけてはぎこちないステップで踊っていた。
そのすぐ横に、ベッドがおかれていた。

スタッフに、ここで寝かせてくれと頼むと、幸運にも、部屋があるという。
今すぐにでも寝たかった僕は、このオヤジどもの横では僕の睡眠が妨害されることは目に見えていたので、疲弊し切った顔に思わず笑みがこぼれた。

少し待たされ、部屋に案内された。
そこには、大人一人が横になれる、ただそれだけのスペースがあった。
広さで言ったら、部屋と言われるより、便所とか、物置とか言われる方がしっくりきた。
そこに、屋上で干されていた布団が投げやりに敷かれ、部屋は埋まった。
もうそれは独房のようだったが、不思議と居心地はよかった。

扉を閉め部屋に閉じこもると、なぜか目が冴えてきて、眠れなかった。

僕は、小さな小さなその部屋で、大きな大きなインドという土地の距離感を捉えようと、しばらく地図帳を眺めていた。




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