2013年3月19日火曜日

ブッダの生誕地、ルンビニ

「天上天下唯我独尊」

なんて傲慢なやつだ。
初めてこの言葉を聞いた時、僕は仏陀に対してそんな畏れ多いことを思ってしまった。

インドの国境近くの小さな町、ルンビニ。
この地で釈迦は産まれた。

その、まさに釈迦がここで産まれたという場所は、幾多の人々が祈りを捧げた痕跡が、あらゆる形で残り、祈りは空気にも染み込んでいるようで、重々しく、静寂だった。

うってかわって、そのすぐ横にある、釈迦の産湯に使われたとされる池の周りには、何千何万もの曼荼羅の旗が、幾重にも重なり、ちらちらと鮮やかに風にたなびいていて、それがつくる程よく斑な日陰は、人々に安らぎを与えていた。

何億人もの生活を支え、人生の指針となり、生きる糧となっている、仏教。それを作った人がここで産まれた。そう考えると、やはりどこか感慨深い気もするし、専ら無宗教な僕にしてみれば、この感慨も浅はかなものなのだろうなとも思った。

一緒にみて回ったオランダ人女性が言っていた。

「私は宗教が嫌い。宗教は人を共存させず、引き裂き、争いを生むから。」

納得もするし、矛盾も感じた。
多くの人間が、神を信ずることで救われているのも事実だから。
ただ、真っ直ぐな意見を持っている彼女は、格好良かった。

翌日、同じ宿のベルギー人のカップルと、ウクライナ人の2人組と一緒に、他の所を見て回った。
この聖なる仏教の地の周りには、それにあやかるように、各国が寺を建てた。
タイ、カンボジア、スリランカ、日本、韓国、ドイツ、ブータン etc。
広大な敷地内に、これら各国の独特の仏教観念とデザインが施された寺が混在している。
一緒に回ったヨーロピアン達のお気に入りはドイツの寺。ものすごく派手で、内装がとても綺麗。

僕は…正直すごく感動するものはなかった。
どれも新しく綺麗で、人間との共存の歴史をあまり感じれなかったから。
人によって作られた宗教の拠点となり、人を支えるために建てられる寺には、人間が日々足を運んだ歴史があって、初めて価値があるように感じる。
だから僕は、そこで祈ったり、休んだり、遊んだりして、共存の歴史をつくろうとしている人たちを見ている方が面白かった。



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