2013年4月2日火曜日

裏アジア予選

Fort Cochin。ケララ州にあるこの街は、その昔ポルトガルによる支配の下、貿易の中心地として栄えた港町だ。今ではその面影残しながらも、多国籍チェーン店や洒落たレストランが街を飾る。一方で、海では盛んに漁が行われ、少し足を伸ばせば緑豊かな自然の姿も見ることができ、これほどまでに多方面で豊かな土地は、広きインドといえど数少ないだろう。

しかし、魅力あふれるこの街で、何よりも僕を魅了したのは、ここでしか見られない漁法チャイニーズフィッシングネットでもなく、赤く熟れたマンゴーでもなく、アートギャラリーを兼ねたカフェでも、様々なアクセサリーの敷き詰められた雑貨屋でもなかった。

それは、サッカーボールを追いかける少年たちであった。
下手くそな見切りブレーキが体を壁に打ちつけるバスの中からその姿を見つけたとき、この旅では新しく、でもどこか懐かしい興奮を覚えた。

その興奮冷めやらぬまま、あの悪しき記憶ヒマラヤ山脈のトレッキング以来封印していた厚手のソックスをサッカーシューズ代わりに取り出し、足早にグラウンドへ向かった。
疼いてる僕にとって、宿からグラウンドまでの道程は果てしなく、まだ少年たちはいるか時計を見ながらソワソワして、グラウンドが見えるとついに僕は走り出したのであった。

彼らはまだいた。予想通り、裸足で、予想以上に、石の転がる土の上を、元気いっぱいに駆けていた。
クロックスを脱ぎ捨て、ソックスを履いて、混ざる。快く受け入れてくれた。

ビーチサンダルで枠を作ったゴール二つ。たて、20Mちょっと、横、無限大。

チームは一番年上の少年に勝手に振り分けられる。

チームメイト、メッシのユニフォームを着たサッカーど素人、およそ8、9歳の少年と、キーパーしかやりたがらないこちらもサッカー未経験、10歳くらいの少年。
相手チーム、サッカー経験ありの中学生二人と、キーパーを務める勇敢な少年。
名目3人対3人、実質3人対僕。
これがアウェーの洗礼インドの笛。
上等だ。思い切りやるしかない。無論勝つ。

少しばかり期待していた僕が馬鹿馬鹿しく思えるくらい、チームメイトのメッシは役立たずだった。
メッシは守備も攻撃もせずに、ボールを渡せばダイレクトで僕に返す、つまり、試合に参加してるとは到底言い難いプレースタイルだった。
しまいには、「空手は好きか?」など聞いてきては、空手の型を真似してみせた。

そんなこと御構い無しに、相手の中学生たちは自慢気にパスを回し、フルパワーでシュートを放ってくる。

だが所詮14歳とそこらの少年に、10年サッカーの教育を受けてきた私が、負けるわけにはいかないと、そのプライドと、いまだ体が覚える技術を頼りに、食らいついた。

一進一退の攻防が続き、7-7となった時点で、疲れがみえ始めたのに終わりが全くみえなかった僕は、10点マッチを切り出す。
あと3点。本気で勝つ。

9点まで連続で奪取し、9-7と優勢になったが、そこからの奴らの一丸となったディフェンスたるや、カテナチオもびっくりの、セレソンもきっと破れない屈強さで、僕のドリブルとシュートはことごとく封じられ、一方僕のチームといえば、メッシは空手の蹴りでゴールポストを示すビーチサンダルを吹っ飛ばしてしまったりしてるわけで、つまり、そこから3点取られ、9-10の敗北に帰したのであった。

久々に本当に悔しかったが、この一試合に賭けていたから、これ以上戦うことには気が進まず、彼らのもう一試合のオファーを断り、木陰で体を休めながら、惜敗の涙をのんだ。

僕が抜けたことで、光栄にも少しばかり面白みを無くした彼らは、だらだらとボールを蹴っていた。

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