2013年4月2日火曜日

神様との出会い

地球にある異星。この世界にある異世界。

ハンピに降り立った時、僕はそんなことを思った。

巨岩が群れをなして不均衡に均衡を保ちながらつくる山と、その狭間に広がる緑鮮やかな大地。こんな光景が地球にあったのかと、誰もが自然の創造力に跪くであろう。
しかしその中に点在する無数の遺跡たちは、その自然と絶妙に協調しながら、確かにここが地球人の住む地球であることを物語っていた。

その風景だけで計り知れない価値のあるものだが、それをつくる遺跡の一つ一つも、大きさ、状態、芸術性に優れる、圧巻なものばかりだ。

しかし、僕のことをこれまでにない摩訶不思議な境地に誘ったのは、そこに彫られたり、描かれたりして、永く人々に祀られる神々の姿であった。

ほぼ無傷の状態で残る大きなラクシュミ像。宿やレストランの名前として街中でもよくみられるこの神の姿は奇怪で、般若のような表情、大きな口には牙を生やし、飛び出した目、背中からは7頭の大蛇が伸びている。

モンキーテンプルと呼ばれる寺には、猿のような姿をした神が描かれている。毛深い体、浅く白髭を顎にたくわえ、鼻の下は猿のそれのように膨れている。

これらの神の姿は、僕の想像力じゃとても追いつけないほど独創的で、その細部一つ一つに、疑問を抱くほどだ。

何故、こんな姿にしたのだろう?

僕が「なぜ?」と思った時は頑固で、その納得いく理由みつかるまで、例え結局それが独りよがりの屁理屈に終わったとしても、考え抜くことをやめない。

しかし、この時ばかりは、この奇々怪々な神々の姿のワケを説明できるアイデアが、一向に僕に浮かんでこなかったのである。

そしてとうとう言い訳を考えることを降参した僕は、まさに人は神の前に無力であることを、新たな実感とともに思い知らされたのである。

この時ぼくは、
「ああ、神はきっといるのだな。」
と思ったのである。

なぜこんな姿をしているのか説明が出来ないのは、それはつまり、神というものは人間が作ったのではなく、人間が“考える”という手段を身につけるずっと以前から、存在していたからなんだろうな。
今まで神の存在など信じたことのなかった僕は、無邪気にそう思った。

もちろん僕は今まで通り、ヒンドゥー教徒
でもなんでもない。
けれど、何処かの惑星のようなこの場所で、地球の神の存在を、強固に感じさせられたのであった。

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