2013年7月17日水曜日

最近ニュースをみて思うこと

もう1ヶ月前になるけど、僕はトルコにいた。

トルコに抱いていたイメージ、それは「親日国」。みんな日本が大好きで、日本人と言えば優しくしてくれる。そんな楽観的なイメージを持っていたな。

そして結論から言うと、別にそんなことは無かった。女性にモテた、優遇された、そんな経験はこれといって僕には起きなかった。
トルコ人の男性に限って言えば、彼らは女性好きだ。親日ではなく、「親日本女性」というべきほどに、日本人女性に対するトルコ人男性の待遇は良かった。
例えばホテルで、借りるのに5リラかかるタオルを、すんなり日本人女性が無料で借りていたり、明らかに口調が日本人女性には柔らかかったりした。

トルコ人はお金にもシビアで、いつものノリで値下げ交渉したら、ガチギレされて店を追い出されたりした。

「貧乏」でそれでいて「男」なんて、日本人だろうとなんだろうと鬱陶しがられる。どれもイスタンブールでの経験だけど。

そんな、少々がっかりさせらたトルコで、誰よりも優しくて、暖かい人々に、僕は出会えた。

パムッカレという観光名所から100kmほど離れた小さな町に住む家族だ。

彼らは敬虔なイスラム教徒だった。
そして彼らのそのホスピタリティは、紛れもなく、イスラムという宗教に基づくものだった。

僕が今更ながら彼らのことを紹介したのは、単にその思い出に浸りたくなったからではなく、いま中東と呼ばれる地域が、とても混乱しているからだ。

イラクの北部での爆弾テロ、米軍によるパキスタンやアフガニスタンへの攻撃、エジプト軍によるクーデター、トルコでのデモ。

これらの混乱で、いつも大きく報じられているのは、イスラム教。

まるでイスラムは悪で、攻撃的である。少なくとも日本にいた頃、僕はそんな印象を抱いていた。
もし、日本にいる人が、今、そんな風に感じているのなら、僕はそれは偏った報道による、偏った意見だと思う。

僕も混乱の原因を詳しく知っているわけではないけれど、宗教が、それを信じている人々が、根本的な争いの原因になるというのは、違う気がするんだ。

ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教。いろんな信仰を持つ人と出会った。

いつだって、宗教は人々の生きる糧で、信じる人を強く、優しくて、社会に包容を与えていた。
宗教はそういう風に出来ていた。

結局、国と国との争いや、政治を揺るがす内乱なんて、人間のエゴとエゴのぶつかり合い。宗教間の争いなんて、都合の良い後付の理由に過ぎない。その表面だけを鵜呑みにすると、本当に宗教間でいがみ合ったり、宗教を蔑んだりする空気が生まれるんじゃないかな。

その裏に隠れてる、いや、意図的に隠されている狙い。人間の欲望。それは何なのか。色んな情報を得よう。

それが分かったからなんだ。
何の解決にもつながらないし、僕にできることなんて何もないかもしれない。ただその欲望の渦に飲まれたり、遠くから眺めたりするだけで、余計に苦しくなるだけかもしれない。

でも偏った浅はかな判断で、あの宗教が悪いとか、あの人種が悪いとか言ってたら、今度はそれがほんとに根本になって、肥大した欲望と絡み合って、取り返しがつかなくなりそうで、怖い。混乱してる今だからこそ、知って、認め合う時なのだと思う。

もうすぐ5ヶ月

久々の投稿。
イランから何も書いてなかった!

これまでのブログは、毎日色々感じたり、小さな発見がある中で、特別にビビっと来た感覚や考えを書いてきたんだけど、ここから先はもう少し気を緩めて、滞在していた街の様子や、旅の情報を発信して行こうかなと思っています。

旅中の情報収集で、何よりも力になるのが、ガイドブックでも、外務省のHPでもなく、実際にその国に訪れた人の情報ノートやブログ。僕も既に何度も助けられました。
僕の経験や、僕が得た情報も、ただ僕の中だけで終わるよりも、誰かの助けになったら、これほど嬉しいことはありません。
今更ながら情報を記録しておくことと、それを発信して行くことって大事なんじゃないか?!と思い、Twitterも活発にやろうかな!と意気込んでいます。

さらには、今は人と一緒に回っているので、良くも悪くもあまり考え込まずに、楽しもうぜ!みたいなノリにあって、今まで書いてきたようなネタが浮かばないのも理由の一つです。

もちろんまた何か特別に思うことがあればここに記して、より濃いブログになればいいかななんて思った。

さてとりあえず、イランを出て僕は、
トルコ→ブルガリア→ギリシャ→マケドニア→セルビア(now)です。
いつの間にかアジアを終えて、ヨーロッパに入っています。

ヨーロッパは今のところ非常にイージー。
国境は全部バスの中で待ってれば運転手が済まして来てくれる!
東は物価も安くて最高です。

こんな久々に満たされた中で、次の大陸アフリカについて調べれば、俄然やる気が無くなるのも当然ですね。

ビザが面倒、賄賂が高い、政情が不安定、治安が悪い、黒人が強いなど、調べれば挙がるものは不安要素ばかり。
無意識に、スペインからの帰国の便を調べちゃうほど。

とりあえず今の段階で決めた西アフリカルートを掲載するぜ!

モロッコ
西サハラ
モーリタニア(ビザ@スペイン、モロッコ)
セネガル(ビザ@ネット?要調査)
ガンビア(ビザ@セネガル国境)
ガーナ(ガンビアからフライトイン。ビザ@セネガル)
トーゴ(ビザ@国境)
ベナン(ビザ@国境、アクラ)
カメルーン(ベナンからフライトイン。ビザ@空港)
ガボン(ビザ@カメルーン)
南アフリカ(ガボンからフライトイン)

なに?モロッコと南アフリカ以外知らないって?僕もだぜ!

早速ここで、僕に情報発信の使命が課せられた。
というのは、上のリストにあるセネガル。この国、西アフリカでは唯一?日本人観光ビザ不要の国として、西アフリカでは人気(誰に?)の国だったんだけど、なんと今年の7月(2週間前)からビザが必要になったぜ!
めんどくせっ
もちろんビザ取得情報はまだ皆無に等しい。
セネガルビザ海外取得パイオニアに、なってきます!

2013年6月9日日曜日

砂漠とトカゲとフンコロガシと僕

イランの中央、不毛の大地に囲まれたオアシス都市、ヤズド。古き良き雰囲気の残る旧市街は、土壁の低い家が並んで、道を複雑に絡ませる。面白そうな方へ、歩いて、迷って、突然小路から飛び出してくる子どもと挨拶を交わすのは、ヤズドの一つの楽しみ方だ。

街は小さく、メナーレが青空に突き刺さる歴史的なマスジェデや、人々の生活を支え続けるバザールも、歩いて回ることが出来るが、近郊にも魅力的な見所が在る。

ゾロアスター教徒の墓地の跡、「沈黙の塔」。土や火を神聖なものとした彼らは、土葬や火葬はそれらを穢すものとし、この地で鳥葬を行った。遺体を鳥に食わせたのだ。
その他にも、ヤズドとその近郊には、ゾロアスター教徒の歴史を知るうえで、重要な場所がいくつかある。そして彼らの後裔は、今なおこの地で暮らしていたりする。

しかし、実のところ、僕はそのどれも訪れなかった。
僕がこのヤズド近郊で、最も惹かれて、そして足を運んだ所は、今までどんな人間も、そこに歴史を築こうと思わなかった、砂漠であった。

インド、ウズベキスタン、UAE、オマーン。いろんな所に、砂漠はあった。どこにも僕の足跡を残すことはなかったけれど、何故かこのペルシャの地で、砂漠に足を踏み入れたくなったのだ。

タクシーをチャーターして、ヤズドから100km離れた砂漠を目指した。といっても、ヤズドの街を出てしまえば、景色はすぐに物寂しそうな砂漠になる。けれどそれは、砂利と岩山でつくられた、なんとも色気のないもので、時速120kmで進む道中は退屈だった。

ナツメヤシの木が茂る、小さな村を抜けて、車は止まった。後部座席の窓から除く限り、僕らを囲うのは相変わらず頑固そうな砂利砂漠。まさか、このいささか面白みに欠けた荒野をひたすら歩くわけじゃなかろうかと、疑いながら車を降りると、開けた前方の視野に、突然、細かな砂粒から成る砂漠が飛び込んできたのだ。

優しく、柔らかにうねる砂丘が幾重にも重なる。僕の足は意識よりも早く、一番高い丘に向かって歩き出していた。

風がつくる砂山とその肌の模様。そこに暮れ始めた日の光が降り注ぐ。風の向き、日の傾き、砂漠は生きているかのように、動いていく。姿を変えていく。僕の足跡は、それに飲まれていった。

丘のてっぺんに立って、辺りを見渡せば、僕の歩みを重くした砂山のその美しさに、疲れは癒される。ツンデレ女に弄ばれているようだけれど、その美貌は見惚れてしまうほどだった。

ただの砂地に、当然の自然の摂理が働くだけで、僕は美しいと感じてしまう。

足音も立てずに這う、フンコロガシの目には、この砂漠はどう写るのだろう。滑るように走るトカゲの目には、この夕日はどう写るのだろう。
いつものことだと、当たり前のことだと、息をするように受け止めているのだろうか。

僕は、こんな当たり前の現実が美しい。息を飲むほど、涙をおぼえるほど、美しいのだ。

人に揉まれ、時代に流され、僕は汚れてしまったのだろうか。
もしそうだとしたら…

汚れゆくことも、悪くないと思えた。
当たり前のことに、無知でありたいと思えた。


イラン人は偉大なり

"Welcome to Iran"

街を歩いているだけで、すれ違いざまに、暖かく迎え入れられる。
こちらも笑顔を返さずにはいられない。

人々のホスピタリティが、空気にまで染み付いているような、イランはそんな国だ。

意味もなくキャンディをくれたり、丁寧にバスの乗り方を教えてくれたり、時には車で送ってくれたり。思いやりに胡座をかくことが、くせになってしまいそうだ。

なんとなく中東だからとか、核兵器を保有している疑惑があるだとかで、「危険な国」と判断されがちなイラン。しかし実際訪れてみれば、こんなに安全で、旅人に優しい国が、他にあるのだろうかと思う。都合よく切り取られた、ほんの一面だけを見て、全体を判断してしまうことの愚かさを思い知らせてくれる。

Islamic Republic of Iran。国の法律や制度にまで、宗教に因る所があるこの国は、もちろん人々の信仰心も強い。サラートの時間には、家の中でも、公園でも、メッカに向かって祈りを捧げる。金曜日には多くの人がモスクを訪れる。日本では宗教というとマイナスのイメージが強いけれど、これだけ素直に宗教の教えを信じ、それに従う人々の姿をみると、彼らの優しさは、イスラム教に起因するものなのではないかと思ってしまう。

しかし、もちろん中には宗教の枠に収まることを嫌う人もいる。

シーラーズで建設会社に勤める男性と話した時のことだ。

「お前はどの宗教の信者だ?」

日本の外に出れば、先ず聞かれるありふれた質問だ。僕も旅の途中で数多くの人から尋ねられ、定型文のように、答えは用意されていた。

「僕は無宗教だ。日本では仏教や神道の側面をみることができるけれど、多くの人はそれを信仰しているわけではなく、無宗教だよ。」

すると彼は笑いながら、

「最高だな。俺もイスラム教なんて糞食らえだと思ってるよ。ロクに女の顔も見れないしな。」

と言った。やっぱりこんな人もいるんだなと、スカーフが乱れた女の人の髪を見るたびに奇妙な罪悪感を抱いていた僕は、少し安心した。
けれど、次の彼の質問に、僕は漫画のように、意表を突かれてしまった。

「でも神は信じる。お前もそうだろう?」

僕の頭には何も浮かばなかった。僕にとってそれはあまりにも斬新で新鮮なアイデアだったから。

「僕は…。」

きっと神様を信じていない。だけど、「宗教=神を信じること」だと無意識に決め付けていた僕にとって、「宗教は信じないけど、神を信じる。」というテーマを前に僕の思考は混乱に落ちた。

それは一体、どういうことなんだろう。彼の言う「神を信じる」ということは、どういったことなんだろう。

僕はこの旅を通して、神の存在を認めるようになった。けれど、神の言うこと為すことに従おうとは思わない。何にしたって自分の感覚を信じて生きていきたい。でも…。

「わからない…。」

何も聞けず、何の答えも出ず、ただ弱い声が漏れた。
そこからこの話が弾むことはなかった。




そんな少しアウトローな彼も、僕への敬意と気遣いには頭が下がるばかりだった。当たり前だけど、信仰心の強さ=ホスピタリティの高さというわけでもないようだ。
なぜこんなにも、何処の馬の骨かもわからない、彷徨える訪問者に、まるで親のような、兄弟のような心を持つことができるのだろうか。

テヘランで僕のホームステイを受け入れてくれた男性の家族を訪問したとき、彼らは生粋のムスリムだったけれど、その疑問に対する、シーラーズの彼とのやりとりにも綺麗に辻褄の合った答えを、彼の言葉の中にみつけた。

"Guest is a friend of God"
「客人は神様の友達」

なるほど。


きっと、「神を信じること」は、この国で生きていくうえで、イスラム教徒であるとか以前に、最も重要なことなのだ。その理念は、無意識のうちに、多くの人々に浸透していて、さらにその上で、あらゆる人種や出来事を受け入れることができる考えが存在している。
神を信じていれば、寛容な人間になることができ、結局神を信じていない人も、窮屈することなく暮らせる。

神は、争いを防ぎ、生活と平和を円滑にするために、誰かの中に存在している。
ここまで多くの人の中に居るのは、ただ神の偉大さだけによるものではなく、やはり人による宣教や政治の賜物ではあるのだろうけれど、、、

やっぱり凄いですね、神様、あなたは。
仲良くしようぜ!



2013年5月27日月曜日

美しい遊牧民

青く美しいイシク=クル湖。それを囲う山脈は白く輝く。緑の丘は、暖かな日の光を浴びて、鮮やかな緑のコントラストをもって、その豊かな緩急を表す。この目の前に確かに広がる、宝石と見紛うようなキルギスタンの自然を、より確固たるものにしたくて、言葉にしようと試みれば、それがあまりに浅はかで、愚かな行為であると諭され、僕は言葉でも、感情でもない次元で、その雄大な自然の美しさを感じるのだ。

自然は美しい。

湖沿いの小さな村、ボコンバエワから山の方へうねる砂利道を15kmほど進むと、ボズ=サルクンと呼ばれる高原に辿り着く。純白を纏った山が、ぐっと近くなる。

馬に乗った遊牧民が、犬を従えて、羊を誘導する。何十匹もの羊が、一斉に右へ、左へ、彼らの思うように進む。
遊牧民は、風と共に、山と共に、生きていた。

彼らを見ていると、これまで抱いてきた、「自然は美しい」という考えに、亀裂が生じた。

人間である彼ら遊牧民も、美しかった。それはキルギスタンの自然に感じたものと同じ美しさだった気がした。
と同時に、きっと無意識に、目を背け、忘れたふりをしていた事実に気づかされた。

人も自然の一部なのだ。

この大地、水、空は、僕とは別世界でも、他人事でもなく、僕はその一部で、それらは僕の一部なのだ。
それならば、ただ美しいと傍観するだけでなく、責任や使命やあるべき姿がこの僕にもあるのだ。
僕は、そのことに向き合おうとしていなかった。僕のやることなすことは、ヒマラヤ山脈とも、インド洋とも、キジルクム砂漠とも、無関係のこととして生きてきた。きっと多くの人がそうではないだろうか。
しかし、人と自然は、切っても切れない関係なのだ。自身について自覚のないことは危険だ。いつからか、人のためは自然のためじゃなくなり、自然のためは人のためではなくなった。僕らはこのズレを、修正しなければならないのではないだろうか。
利益をひたすらに追求し、短いサイクルで消費することを良しとした社会で生きてきた僕らにとって、それは難しいことかもしれない。
けれどそれは、地球の自然を共有する者として、本来当然のようにこなすべきことで、つまり、至極シンプルなものなんじゃないだろうか。


広く美しい高原を踏む僕の足元には、誰かの捨てたペットボトルが転がっていた。

2013年5月11日土曜日

ヤラレタ

ゴミ一つ落ちていない綺麗な街並み。遠くにそびえる雪を纏った山脈。日光は枝の間を抜けて木漏れ日となり歩道を包む。

そんなのどかな街中で…
僕は顔を真っ青にして、忙しなくバッグの中を漁っていた。
「嘘だと言ってくれ…」
ひと掻きすれば全て見えてしまう小さなバッグの中を、何度も、何度も、取り憑かれたように掻き回していた———。



その日、僕はもうビシュケクの街にも大分慣れて、イシク•クル湖への旅程も決まり、ウキウキしながら銀行を探していた。
なぜ銀行を探していたかというと、米ドルが切れかかっていたからである。キルギスでも、ツアーなどでは特に、米ドルが使えるし、もっと先のことを考えても、米ドルは持っていた方がいい。イシク•クル湖周辺の村はまだまだ未発達であると聞き、ATMや両替所が十分に無いかもしれない。向こうでトレッキングツアーなどに参加するかもしれないし、降ろせるうちに早めに降ろしておいた方がいい。用意周到である。


キルギスソムも少し降ろしておいた方がいいだろうか。今いくらあるか財布の中を確認する。
ビシュケクでは、国境でカザフスタンのテンゲを両替した分で生活出来ていたため、
ビシュケク初日でATMから降ろした5,000ソム(10,000円相当)にはまだ手をつけていない。これは普段バッグの中に眠っていて使っていない財布の中に入れていた。イシク•クル湖観光はこの財布をメインに使ってやりくりするつもりだった。

1,000ソム札と、500ソム札と、200ソム札がそれぞれ何枚ずつあるのかも確認しておこう。我ながら全く抜けめない。



1、2、3、4……………………
…………………………………
…………………………………
…………………………あれ?

いやいやいやいやいやw

1、2、3、4……………………
…………………………………
…………………………………
…………………………あれ?

2,200ソムしかない。
そんなはずはないだろう。
よし、一度記憶を辿ろう。冷静になって。深呼吸だ。キルギスタン着いた日から、今日まで。何に、いくら、使ったか。
案外なんか使っちゃったんだっけかなー?
ああでこうでと思い出す。

うむ…………
やっぱりこの5,000ソムには手を付けてないぞ!!!

そうとわかればもう一度数えればしっかり5,000ソムあるはずである。だって手付けてないんだもんあたり前だろ。

1、2、3、4……………………
…………………………………
…………………………………
…………………………あれ?

やっぱりいくら数えても2,200ソムしかない!!!!
なんで!!!!どゆこと!?!?!?

・・・・まさか!!!!


ー以下 回想ー

あれはそうまさにキルギスタンに着いた日。この5,000ソムを降ろしてわずか30分も経っていない頃、僕は何をしていたかというと、職務質問を受けていた。

決して、奇声や奇行をしていたわけではない。ただ大きなバッグを後ろに背負い、小さなバッグを前に抱え、金髪であっただけである。

まだ宿も決まっておらず、朝早い時間であったため店も開いておらず、行くあてもなくふらふらしていたら、おっさん2人に握手を求められた。めんどくさいけど応じると、「警察だ」と言って手帳を突きつけてきた。

しかし僕は動じなかった。中央アジアの国で、外国人が職務質問されるというのはよくあると聞いていた。手荷物を検査させろと言うので、素直に従う。
変に怪しまれて、長引くのも面倒だったので、気さくの良いふりをして、要求されたものは堂々と、財布でも何でも差し出した。

ー回想 終了ー


そう、犯人はあの警官2人だ…!!
やけに何回も何回も財布の中をゴソゴソチェックしてた…
一回チェックし終わっても、「これは財布か?」とか言って再チェックには手抜かりがなかった。
「財布だっつってんだろ!」と思ってイライラしていた僕。油断していた…。


Ω<いやいや警官が犯人って被害妄想も良い所だろ。

違うんです!
警官が観光客から金銭を奪い取るというのはこれまた中央アジアではよくあること。特にキルギスタンの警察は腐敗していて、ギャングといっても過言ではないのだ。

Ω<それ知ってたんならもっと気をつけられたんじゃないの?

そうだけども!
いやなんかイメージしていた警官泥棒は、警官という身分を良いように使ってもっと無理くり「金出せ!出さなきゃ逮捕!」みたいに来るのかと思っていて…
まさかあんなお手柔らかな職務質問で近づいてきて、しかも全額でない金額抜き取るなんていう狡猾な知能犯のような手口で来るなんて…。

といってももちろん信用していたわけではなかったから、常にやつらの手元を見張っていたつもりだったし、警官が去ったあとも財布の中確認したんだよ!

けれど2人のうち片方話しかけてきたり、イライラしてたりで、気が散っていた瞬間があったのかも…。
財布の中の確認も全額数えるまではしなかった…。ソム札が入っていることに安心してしまった…。



あーくそっ!なんだよ!
やつらとの別れ際爽やかに笑顔で「パカ(じゃあね)」とか言ってしまったよ!
僕が悪いのか?!いや僕が悪いなんてあんまりじゃなか!?
あいつらが悪いに決まってるだろ!
いやでもやっぱり自分でしっかり確認してれば防げた損害なのでは…
しかし問い詰めた所であの2人が素直に白状したとは思えない…



ー以下 妄想ー

∑(゚Д゚)「2,200ソムしかない!おーいちょっとあんたら!」

(´・_・`)´・_・`)「なんだなんだ?もうお前に用はないぞ」

(´・Д・)「いやいや財布から金減ってるんですよ。さっき降ろしたばっかだしまだ一銭も使ってないからあんたらしかいないんよ。金返して」

(`ω´ )`ω´ )「なんだお前は!警官を盗っ人呼ばわりとか舐めてるのか!署まで来てもらおうか!」

ガチャ

Σ(゚д゚lll)「な?!」

ピーポーピーポー

署にて

(`ω´ )`ω´ )「まだ俺たちを盗っ人呼ばわりする気か!証拠でもあんのか!」

(♯`0´)「だって現にお金が財布から無くなってるんですよ!」

(`ω´ )`ω´ )「まだ言うか!罰金としてお前の所持金全額没収だ!」

Σ( ̄Д ̄ノ)ノ「ヒエーッ」

(`ω´ )`ω´ )「カメラも没収だ!」

Σ( ̄Д ̄ノ)ノ「ヒエーッ」

(`ω´ )`ω´ )「iPhoneも没収だ!」

Σ( ̄Д ̄ノ)ノ「ヒエーッ」

そして強制帰国へ…


ー妄想 終了ー



こうなっていたに違いない!
こうなることと引き換えに2,800ソム失ったんだ。2,800ソムを代償にして、僕は未踏の旅路を固守したんだ。


それならむしろ軽い方じゃないか!
なんて軽い被害!むしろ以後気をつけようという注意深さがより洗練されたことを考えると、±プラスなんじゃないか?
誰も悪くなんてない!いやもともと悪いことなんて起きてなかったのだ!
軽いどころか無害だ無害!
下手すりゃ有益な出来事だったと言っても妥当だ!


「あーなんて僕はラッキーなやつだー。」
顔面蒼白、鬼の形相でガサゴソとバッグと体を弄っていた僕は、自己防衛の思考が導き出した牽強付会な結論に、今度はニヤニヤしていた。
きっとその姿は気味悪く、職務質問されるなら、この時だったと思う。




2013年5月2日木曜日

温外知内

僕はインドに何の未練もなかった。
行き尽くしたなんて思っていない。インドのほんの一欠片も知っちゃいないことだってわかってる。

けれど、日もまたいだ真夜中、国民的英雄の名前が付けられたデリーの空港で、僕の胸に湧くものは、まだ見ぬ新たな土地への期待と好奇以外はなかった。


ウズベキスタン。中央アジアに位置するイスラム国家。サッカー好きな僕には、耳馴染みある国名。
首都のタシケントに着いたのは、薄明の早朝。初夏のインドから来た僕の服装には不釣合な風が吹いていた。

ここでは、ゴミ一つ落ちていない道を、セーターを着込んだ人が歩き、無駄に車幅の広い道路には、風に鳴く緑の並木。
つい数時間前までは、牛も犬も人間も一緒になって闊歩して、進めないほど混み合った道。それらが撒き散らす糞尿とゴミを、ヒビ割れた踵で踏みながら、銭をせがむ乞食。
気温も情景も温度差がありすぎて、次々と突きつけられる現実は、まるで雲のように掴みづらかった。


シルクロードを辿るように、ウズベキスタンの古都を巡った。
それらを結ぶ道は、低木が転がるように生える砂漠の中を、直向きに伸びる。空には魚のように雲が泳ぎ、そいつが時折太陽を食べては、ひとときの涼味を僕らに与えた。


それぞれの古都には、古のイスラーム建築物が、威厳と彩りを街にもたらしている。

特に、マドラサという宗教学校を指す建築物に付随するアーチに青いタイルで施された模様の美しさと抜かりなさには、度々息を飲んだ。
サマルカンドとブハラにあるマドラサに、人面のある太陽が描かれているものがある。至る所に神々の姿がみられるインドとは異なって、イスラム教では偶像崇拝は禁じられている。その教義に反したこの模様は、当時の支配者が、己の権力を誇示するためにつくらせたものらしい。驕り高ぶったその先で、人は勘違いを繰り返し、時に信ずるものを裏切ったりして、いずれ散っていく。この絵にみたそんな人の脆さは、滑稽ですらあった。

しかし、西の都ヒヴァの町を囲む城壁に登って、街に沈んでいく夕日を眺めていたときに、ふとその調子付いた支配者と自分が重なったのをみた。
澄んだ空気に輪郭を崩さず落ちていく太陽が放つ、夜の前の僅かな光のあがきの中で、街は静かだった。この生気のない街並みと肌寒さは、インドの喧騒に揉まれて忘れていた寂しさを、僕に思い出させてくれた。
インドは、あたたかかったのだ。寂しさを感じなかったのは、あの溢れる生命力の、ぬくもりに包まれていたおかげなのに、それを「僕は強い人間である」などと勘違いしては、人を信じることや、支えてくれている人の存在を疎かにし過ぎていた。
橙に染まったヒヴァの街は、僕が太陽に顔を描く前に、僕の弱さを知らしめてくれた。

遠くや近くにいる誰かの支えの中で、時にそれにしがみつきながら、僕はようやく生きている。日本にいたときからずっと、僕は自惚れていたのかもしれない。

城壁から見渡すヒヴァの街は、昼間歩いてみて感じていたものより、ずっと小さかった。
外側に出てみて初めて見えるものは、内側のことだったりするのだ。