2013年8月24日土曜日

ガーナビザ取得@ロンドン

今回はタイムリーな記事です。
2013年8月、僕はロンドンに10日間ほどいます。

主な目的は、日本の友人訪問(図々しく居候)、観光、そして、、

これから訪れる西アフリカの国々のビザを何かしら取得しようという魂胆です!

ここロンドンは、戦争に負けずいたるところに植民地を作ったイギリスの中心、それどころか、ヨーロッパ経済の中心、ということで、世界各国の大使館が集結している!ほんと何処のでもある!

そんなところで、長い間宿泊費かからずに滞在できるこの機会を逃すわけにはいかない。




西アフリカの旅行は、東アフリカと違って、ビザが若干面倒。
具体的に言うと、東アフリカは大体の国でビザを国境で発行しているのに対して、西アフリカの国々では事前に大使館や領事館などでビザを発行しなければならない場合がほとんど。
手間がかかるのです。

そのためなのか、東アフリカを回るルートよりも人気がなく、情報が少ないという泣きっ面に蜂状態。

じゃあなんで西アフリカなんて行くの?

多分、一番の理由は、僕が天邪鬼だから。
あまり知られてないところへ行ってみたい。人と違うことをしてみたい。
希少な物に価値を見出してしまうという極自然で自分勝手な理由です!
東アフリカのサバンナや動物たちがアフリカの定番なら、もっとブラックアフリカンの様子を僕は見てみたくなった。
そして、すごくワクワクしてしまっているのです。




とりあえずネットサーフィンしまくって散乱した情報をかき集めた結果、
事前に大使館で取らないと行けないのは確かなんだけど、きっちり書類とお金さえ払えば、即日や翌日に受け取れるものも多い。

「なあーんだじゃあやっぱり行ってからでもなんとかなりそうじゃん」

とか思ってしまう。

しかし、どのサイトやブログでも、面倒くさそうに書かれているのが、ガーナビザの取得!
スムーズに取れている人がいない・・・。
でも西アフリカを旅するならガーナは捨てがたい。治安も良いし、貴重な英語圏!

よし、ここ(ロンドン)でガーナビザをとろう!!




ということで、さらに情報収集を試みるも、ロンドンでガーナビザ取得した情報なんて無かった。
そもそも、長期貧乏旅行者はあまりロンドンに来ないのではないだろうか。
なぜなら物価が高いからだ。地下鉄で片道4.5£(約700円)もする。下手に出歩くだけであっという間に金が飛ぶ。
ましてや西アフリカなんて行く変わり者たち。ロンドンなんて興味無いぜ!って感じか、旅人特有の「後々行けばどうにかなる」気質なので、こんなとこでビザ取ったりなんてしない。
僕だってロンドンには来るつもりはなかったけど、せっかくヨーロッパ来たなら仲の良い友人を訪ねたいなとやっぱり思い、ならビザとれんじゃね?という妙案を、物価が高くて何もやることないから思いついただけだ。




まあ大使館はあるんだし、行ってみればいいじゃん!
ということで、僕は朝からHighgate Hillにあるガーナハイコミッション(ハイコミッションってなに?)に行ってみた。

僕「ビザを取りたいんですけど。」

玄関のおっさん「申請用紙を埋めて持って来い!」

僕「では申請用紙を下さい。」

玄関のおっさん「ここにはない。自分で印刷して持ってくるんだ。」

申請用紙くらい置いとけよ気が利かないな。
というわけで、駅周辺のメインストリートへ戻り、ネカフェを探す。
ちなみにこのあたり、HIghgate Hillというだけあって、急な坂道があったりする。特にガーナハイコミッションは坂の上にあり、この往復は中々疲れた、、、。

バングラデシュ人が営む小さなインターネットカフェを発見し、そこで申請フォームを入力することに。
チャイを出してくれて、すげー懐かしい感じがした。



さて、今更ながらそもそもなぜガーナビザは面倒くさいのか。
実は、ガーナという国はビザを発行する際、申請者は自分の居住国でしか発行・受領ができないことにしている。つまり、僕がガーナビザを取得するには、日本の在日ガーナ大使館で手続きするしかないということだ。
では、今までガーナを旅した旅人は、皆日本にいるときからガーナに思いを馳せ、事前にしっかりと日本でビザをとっていたのだろうか。そんなはずない。
旅とは行き当たりばったりなのだ。もちろん日本から温め夢見ていた場所もあるが、旅の途中で新たな興味が湧いて、進路を変更することなどざらにある。僕だってガーナに来る気は無かった。そもそもガーナビザは発行から3ヶ月以内に入国しないと無効になってしまうし。

そうつまり、「申請者の居住国でしか発行できない」など建前に過ぎないのだ!!
チャレンジあるのみ!



無論、僕がネカフェで入力した申請フォームも「UK専用」であり、住所も"Country"が"UK"か"Ireland"しか選べない!!から適当に書いて埋めた!!
とりあえずイギリス国民になりすまし、問題なくフォームを送信。なんかレシートみたいのをゲットすることができた。
ダミーのホテル予約証明書も作成し、完璧。



再び坂を登り、ガーナハイコミッションへ。
窓口にゲットしたレシートみたいのと写真2枚と埋まった申請書コピーを提出。ホテル予約証明書はダミーでちょっと怖いから言われるまで出さないもんね。
申請書コピーのチェックが終わり、「パスポートを出して下さい。」と言われる。
平然と日本のパスポートを出す。

窓口女「イギリスに住んでいる者にしかビザを発行することはできません。あなたは日本に戻って、在日ガーナ大使館へ行って下さい。」

うん。知ってる。
そしてそれが建前だということも知ってる。

僕「それがなんとかなりませんかね。日本にはまだ戻らずにこれからアフリカに行くんですよ。ガーナ行ってみたいんですよ。頼んますよ。」

と食らいついてみる。とりあえず「ガーナは良い国」と繰り返す。
すると、

窓口女「となりの窓口へ行って下さい。」


なんでたらい回しに、、、。言われた通りに隣へ。そこは男性職員。
うわぁ力で追い出されるかな、とか怖がっていると、「事情は分かった」という風に、パスポートを受け取ってくれ、ビザ代会計手続きまで進んでくれた。

えぇ?予想以上にあっさり折れてしまってなんか逆にがっかり。拍子抜け。
ホテル予約証明書も結局提出要求されなかったし、、、せっかく作ったのに、、、。
しかもビザ代先払いって、、、。
これには少し驚いた。今まで、ビザ代は発行されてパスポートを受け取るときに払った。それは理にかなってる。だってもしかしたら、ビザが下りないかもしれないからだ。
でもガーナビザは先払い。しかも100£(15,000円)と高額な代金をだ。
まあこれは僕が翌日受け渡しを希望したからで、本来ならもっと安い。

こりゃあもう取れただろうなと早くも安心してしまった。


翌日言われた通りの時間に再び坂の上ガーナハイコミッションへ。
控えを渡すや否や、乱暴にパスポートを返された。しっかりとガーナビザが貼り付いている。

というわけで、無事ガーナビザ取得できました!しかもかなりスムーズに!これは嬉しい。
早くもガーナへの期待膨らむ。ビザダサッッッ!


結論、
きっとガーナビザは何処でだって取れる。

でもロンドンで取れば比較的楽だと思いますよ。高いけど、、、。

2013年8月20日火曜日

デベタシュカ洞窟への行き方 inブルガリア

イスタンブールからバスに乗ってブルガリアの首都ソフィアへ。
4ヶ月かけてアジアを抜け、ヨーロッパに入った。

その記念すべきヨーロッパ第一カ国目にブルガリアを選んだのは単純に、イスタンブールでからバスで入国することができたから。そこがヨーロッパであることに胸がいっぱいで、ろくにソフィアのことも調べていなかった。

でも、ブルガリアには、行ってみたいところがあった。
インドのアウランガバードで出会った日本人夫婦の旅人に教えてもらった秘境。
「デベタシュカ洞窟」だ。

今回はそこへの行き方を是非ここで紹介したい。
なぜかというと、日本語によるデベタシュカ洞窟に関する情報が、あまりにも少なかったからである。

これじゃ行きたいのに行けない!

僕がこの洞窟へ行くためのより確実な方法をここに記すことで、もう二度とそんな無念を抱いて散ってゆく旅行者が出なくなればいい。


まず、
そもそもデベタシュカ洞窟ってなんだ?
別に知らないしどうでもいい。
という人に、その魅力を紹介します。


綺麗じゃないですか?行ってみたくないですか?
ということでここまでの行き方を紹介します。

この洞窟から一番近い大きな街は「Lovech(ロヴェチ)」といいます。
まずそこまでソフィアからバスで行きましょう。
距離にして150kmほど離れていて、2時間半ほどかかります。

ソフィアの北にある一番大きなバスターミナルで、ロヴェチまでのチケットは簡単に買えました。
値段は忘れた・・・。

何本かバスはあると思いますが、僕は日帰りの予定だったため、午前8時半のチケットを買いました。

結局バスは30分位出発が遅れ、ロヴェチに着いたのは11時半頃。
さらにバスを乗り換えます。洞窟はロヴェチから約20kmです。

ロヴェチにはバスターミナルが一つしかないので、そのまま動かずに乗り換えはできます。

ここから、LetnitsaLevski行きの小さなバスに乗らなければいけません。
行き先はこの二つならどちらでも構いません。
そのバスが発着するプラットフォームは一番端で、チケット売り場にいるおばちゃんに聞いても教えてくれますが、キリル文字でしか表記がないので、不安だったらバスを待っている人たちに尋ねるのもいいかもしれません。

確か12時半頃にこのミニバスに乗れました。次のバスは13時半とかだったと思います。
このどちらかに乗らないと、日帰りでソフィアに帰るのは厳しくなるかもしれません・・・。
なぜかというと、ソフィアにもどるバスが、16時の一本しかないからです。
チケット売り場に貼られている時刻表にはもっと遅い時間もありましたが、どの売り場のおばちゃんに訪ねても今運行している一番遅いソフィア行きのバスは16時のみとのことでした。

さあ、このLetnitsaかLevski行きのミニバスに乗って、どこで降りればいいのか。

実はデベタシュカ洞窟の近くにバス停はありません。
なので、ミニバスの運転手さんにこう言いましょう。

「デベタシカ!デベタシカ!(ひょうきん)」

すると、運転手さんはもちろん、周りの乗客までもが
「そうかそうかお前はデベタシュカへ行くのか」となぜか車内に連帯感が生まれます。

たちまち「洞窟に行くひょうきんなアジア人」と有名人になれます。

そうとなればこっちのもの、デベタシュカ洞窟へ続く小道の前でバスは停まってくれます。
「デベタシカ?」と呟けば、車内一斉に「デベタシカ!!」と言ってくれるので、
確固たる自信が湧いてくることでしょう。最後は笑顔でみんなに手を振りましょう。

ミニバスは30分くらいで着きます。
そしてここが、そのバスが降ろしてくれる小道前です。



なんて綺麗な空!左に伸びているのが洞窟へと続く道です。ほんとかよ!ってくらいなんもなさそうですが、取り敢えず歩いてみましょう。



こんな道を歩いていく。



















周りにはひまわり畑が広がっていて綺麗。7月です。

すると・・・


















突然現れました!これがデベタシュカ洞窟入口です。
なんてったってデカい!右下に人がいるのがわかりますか?いかにこの洞窟がデカいかお分かりいただけると思います。なんでも一番高い天井で60mに及ぶとか。

そしてこんなに大きく、地下洞窟や鍾乳洞でもないのですが、この洞窟、冷気がものすごい。
洞窟が見える前に、「あれなんか涼しくなった?」という感覚があると思います。
まるで息をしているように、冷気を吐き出しているのです。

正直、この大きさだけでもう大興奮していました。
しかし中に入ってみると、さらに息を飲む光景が。



















少し奥に入って、入口側を見た景色です。一番奥の穴は入口です。
この洞窟の不思議なところは、天井に大きな穴がいくつか空いていることです。
そこから日の光が降り注ぎ、さらに洞窟内に流れる川によって、所々に緑が茂ります。
洞窟の中らしからぬその光景が、人々を惹きつけるのだと思います。

打って変わって、洞窟の奥は、恐怖心すら抱く闇。立ち入り禁止となっています。
この洞窟は、ヨーロッパ最大のコウモリの住処ともなっていて、暗闇からはコウモリの甲高い鳴き声だけが不気味に聞こえていました。

観光客はいましたが、ほんの数人。ましてやアジア人など見かけませんでした。情報が少なかったことも頷けます。おかげでゆっくりとした時間を過ごすことが出来ました。

この美しさを誰かと共有できたら素晴らしいなと思った一方で、
このまま観光地化されずにひっそりと人々を魅了して欲しいなとも思いました。


さて、大事なのはここからどうやって帰るのか!
ソフィアに帰るには、16時のロヴェチから出るバスを逃すわけには行きません!
実際洞窟自体は立ち入り禁止区域もあって、観光にさほど時間はかかりません。
1時間もあれば十分でしょう。

13時に洞窟について、遅くても14時過ぎには観光は終わる。
ロヴェチからソフィアまでのバスは16時。洞窟からロヴェチまではバスで30分程度。
一見、余裕そうに思える。

が、デベタシュカ洞窟にはバス停がありません!!
じゃあどうするか?とりあえずミニバスを降ろされた小道前まで戻ります。
14時20分に戻りのミニバスを拾えるとの情報もありますが、定かではありません・・・。
実際、僕はその時間にはもう道に戻ってましたが、バスを見かけることはありませんでした。
ということで!!


ヒッチハイクです。低めです。隙がないです。
意外と車は通ります。粘って粘って10台くらいにスルーされて、ようやくおっさんが運転する車が止まってくれました!

この近くの大きな街はロヴェチしかなく、距離も20kmと近いので、そっち方面に走る車ならだいたいロヴェチは通ると思われます。

そのおっさんも快く乗せてくれました!!
しかしこのおっさんファンキーすぎて、速度120kmから緩めることをしません。おまけにめちゃくちゃ話しかけてきて超脇見運転。ブルガリア語でです。
街に入ってもお喋り運転をやめず、赤信号に気づかず前の車に追突しそうになり、急ブレーキで車が蛇行した時にはさすがにキレそうになったぜ。
まあおかげでたった10分で、ロヴェチに到着!余裕を持ってソフィア行きのバスに乗ることができました!



以上!デベタシュカ洞窟までのアクセスでした!
肝は言わずもがな、帰りのヒッチハイクです。これが捕まらなかったら洞窟周辺はなんにもないのでかなり面倒です!バスの時間の16時に間に合わなくても、諦めずに続けて、せめてロヴェチまでは戻りましょう!



2013年7月21日日曜日

イスラエル!!地獄の入国!

前々回の記事で、僕がイランの後に訪れた国の名前を挙げたけど、イスラエル入れるの忘れてた!

ごめんイスラエル!
イスラエル良い所だったよ!
ってことでイスラエルについて書こうと思う。

良い所とは言ったけれど、最初の印象は正直最悪。
イスラエルは入国審査が厳しいとは聞いていたけれど、想像の域を遥かに超えた。
僕がイスラエルのベングリオン空港に着いたのは夜中の0時前。飛行機を降りて、パスポートコントロールまで、あの長い道、どこの空港もたいていありますよね。動く歩道とかあるやつ。
その、パスポートコントロールまでまだ至らない手前で、いきなりセキュリティの人に捕まり、尋問される。これがまた長くてシビア。立ったままここですでに30分くらいは問いただされた。
内容は、
・イランで何したのか
・イランのどこに訪れたのか
・なぜイランに行ったのか
・イランに知人はいるのか
・カウチサーフィンで会ったイラン人の名前は何か
・イスラエルになぜ来たのか
・イスラエルのどこで何をするのか
・イスラエルに知り合いはいるのか
・カウチサーフィンで会うイスラエル人の名前と電話番号は何か

ご覧の通り、イランに訪れてしまったのが長い尋問の原因。でもそもそもアジア人が多くセキュリティの人に足止めされてた気がする。後で調べると、イスラエルの空港で暴れまくった日本人テロリストがいたらしいね40年くらい前。それが関係あるかは知らないけど。

やっとパスポートコントロールに辿り着くも、今度はパスポートを取られ待合室で待てと言われる。

ちなみに、イスラエルのスタンプがパスポートにあると、入国を拒否される国がいくつかある。周りのアラブの国(イスラム国家)にしてみれば、勝手に自分たちの土地に入って来て住みついて建国したユダヤ人は嫌い!だから。お察しの通り、イランもその一つ。
だからわざわざイスラエルのパスポートコントロールで「NO STAMP!!!!」って言わないと、中東旅行できなくなっちゃうよ!とか言われてましたが、今はもう旅行者にはイスラエルの審査官自ら、スタンプ不要かどうか聞いてきます。そもそも、「PLEASE STAMP!!!!」と逆に言わないとスタンプ押されないんじゃないですかね。

まーとにかく!僕は待合室に通されたんです。待合室には他にも人がいたので、スタンプの代わりに発行されるカードをもらうのに、旅行者は待合室で待たされるのかーとこの時は思ってた。

待合室には時々保安官みたいな人が来て名前を呼び、呼ばれた人は取り調べ室みたいなところに入っていった。
しかし!中々僕の名前が呼ばれない。
もう待合室の人は次の便の人に入れ替わってる。引き続き待たされているのは、僕とトルコ人家族くらい。

眠い。なんやかんやで3時間弱くらい待った。つまりこの時夜中の3時すぎ。
そしてようやく!僕の名前が呼ばれ、取り調べ室に案内された。

女性保安官が怖い顔して座ってる。
なんで怒ってんの?旅で会得した愛想笑いも全く通用せず、淡々と尋問された。内容は、上で挙げたものとほぼ同じ。もう少し掘り下げられたけど。


しかしここで僕はミスを犯す。
僕には、パレスチナ自治区に、会いに行こうと思ってた人がいた。
一方、テルアビブとエルサレムではカウチをする予定だったから、そのホストの名前を保安官に教えたとき、「もうイスラエルに知人はいない?」って聞かれた。この時は特に何も考えてなくて、尋問が広がるのが面倒だったのもあって、パレスチナ人の知人については触れずに「いないっす。」って答えてしまった。
しかし!僕は「イスラエルで何するの?」と聞かれて、「西岸地区(パレスチナ自治区)も行こうかなーなんて思ってます」と答えてしまい、ここから墓穴を掘ることになる。

以下、尋問の流れ。

保「なんで西岸地区行くの?なにすんの?」
僕「いやー実は、西岸地区に知り合いがいるんで、会いに行こうかと。」
保「さっきイスラエルにはもう知り合いいないって言ったよね?」

僕「だって西岸地区はイスラエルじゃないじゃん」

保「は?」

完全な失言!なんて危なく挑発的な失言!女性保安官のコメカミがピクリとしてました。ここから怒涛の質問攻め。
「誰がそんなん吹き込んだん?」
「西岸地区がイスラエルじゃないっていう根拠はなに?」
「お前の大学でそう教わったん?」
「それともイラン人がそう言ったんか?」
「それともそのパレスチナ人か?」
「そのパレスチナ人の名前と電話番号と住所教えろや」

とまぁこんな感じで結局尋問が長引き、1時間くらい閉じ込められましたね。僕は終始オロオロしながらその場しのぎな適当な答えで逃げ回っていたので、ようやく解放された時も保安官は疑惑の目で僕を見ていました。

そしてようやく!ようやく!
明け方午前4時頃、僕のパスポートが返ってきました。気づけば待合室で待たされて取り調べなんてされてたのは僕だけになってました。

入国できれば問題なーい!
コンベアーから放り出されたバッグを背負い、意気揚々とアライバルロビーへ!

しかし…

また捕まる(´・_・`)

今度は荷物検査のおっさん。
僕の大きなバッグを機械に通しても納得出来なかったらしく、ここで広げろと言ってくる。
まじかよ…。イスラエルが遠い…。

チャックに付いてる鍵を取ると、ガサゴソと勝手に探り出される。僕はただ傍観しながら、「これはなんだ?」という質問に答える。

と、ここでイスラムに関する本が出てくる!
前回の記事で触れた、トルコで出会ったムスリム一家の奥さんに、「これを読めば、きっと貴方の人生が良くなる。神を信じてみて欲しい。」と渡された、イスラムの教えやムスリムの体験記が書かれた本5冊だ。

ここまでの尋問で、「お前はムスリムか?」と何度か聞かれたので、この本が出てきた瞬間に、「僕はムスリムじゃないよ。それはムスリムの知人にもらったんだ」と先に言ってやった。

すると、

荷「だからなんだ?ムスリムだったらなんだっていうんだ?」
僕「いや、ムスリムかどうか前の尋問で聞かれたから(イライラ)」
荷「ハッ!俺が今何を探してるか分かるか?麻薬だよ。お前は麻薬を持っていないか?」
僕「NO!! 持ってるわけないだろ」
荷「ハッ!持ってても"Yes"と言うやつなどいないがな!」


ハァアァぁ!?
絶対僕が何も言わなかったらムスリムかどうか聞いただろ!てかなんだよ麻薬のくだり!じゃあ持ってるかどうかなんて聞くなよ!

苛立ちが最高潮に達して、ようやく、今度は本当に、解放されて、アライバルロビーに出られた。もう外は明るくなっていた。

さて、どうやって街にでよう。電車もバスも空港に止まる様だから、きっと簡単だろう。
両替所の人にテルアビブ市街への行き方を尋ねる。

「今日は土曜日。安息日だから電車もバスも夜の21時30分まで動かないよ。」





え?






え?




何言ってんの?まだ朝の5時過ぎだよ?

タクシーならあるらしいけど足元をみて高額な料金を請求してくるらしい…。
土曜着の航空券だけ何故か安かったのは、こういうことだったのか…。

結局僕は、21時30分まで空港の中で待ったのであった。
到着時から計算すると、ざっと20時間以上空港に居たことになる。

これは、昆明の空港での記録、17時間を上回り、空港滞在時間記録歴代第1位に輝いた。

その間にも、僕は軽い尋問を2人くらいから受けた。しかし今度は暇すぎて、わざと怪しげな動きをして尋問を招いてやろうかと思うほどだった。


これが僕の、イスラエルでの1日目。心身共に削られたよ…。

なんかもうイスラエルの街、テルアビブやエルサレムについては書けなかったけど、本当、イスラエルは観光するには面白い所たくさんあります!

物価は高いけど、小さいチョコクロワッサンは安くて美味しいし、テルアビブの街並みは現代的なオシャレさがある一方、三大宗教の聖地であるエルサレムは歴史を感じる古き良き街並み。死海なんてどう足掻いたって浮いてしまうのが楽しすぎる!目に海水入った時は失明を覚悟するほどの激痛!
行ってないけど最南端は紅海に面していて、ビーチと海がめちゃくちゃ綺麗らしいです!イケメン、美人も多し!

厳しい入国審査もネタにできる良い経験と思えば、訪れる価値しかないぞイスラエル!褒めすぎた!






2013年7月17日水曜日

最近ニュースをみて思うこと

もう1ヶ月前になるけど、僕はトルコにいた。

トルコに抱いていたイメージ、それは「親日国」。みんな日本が大好きで、日本人と言えば優しくしてくれる。そんな楽観的なイメージを持っていたな。

そして結論から言うと、別にそんなことは無かった。女性にモテた、優遇された、そんな経験はこれといって僕には起きなかった。
トルコ人の男性に限って言えば、彼らは女性好きだ。親日ではなく、「親日本女性」というべきほどに、日本人女性に対するトルコ人男性の待遇は良かった。
例えばホテルで、借りるのに5リラかかるタオルを、すんなり日本人女性が無料で借りていたり、明らかに口調が日本人女性には柔らかかったりした。

トルコ人はお金にもシビアで、いつものノリで値下げ交渉したら、ガチギレされて店を追い出されたりした。

「貧乏」でそれでいて「男」なんて、日本人だろうとなんだろうと鬱陶しがられる。どれもイスタンブールでの経験だけど。

そんな、少々がっかりさせらたトルコで、誰よりも優しくて、暖かい人々に、僕は出会えた。

パムッカレという観光名所から100kmほど離れた小さな町に住む家族だ。

彼らは敬虔なイスラム教徒だった。
そして彼らのそのホスピタリティは、紛れもなく、イスラムという宗教に基づくものだった。

僕が今更ながら彼らのことを紹介したのは、単にその思い出に浸りたくなったからではなく、いま中東と呼ばれる地域が、とても混乱しているからだ。

イラクの北部での爆弾テロ、米軍によるパキスタンやアフガニスタンへの攻撃、エジプト軍によるクーデター、トルコでのデモ。

これらの混乱で、いつも大きく報じられているのは、イスラム教。

まるでイスラムは悪で、攻撃的である。少なくとも日本にいた頃、僕はそんな印象を抱いていた。
もし、日本にいる人が、今、そんな風に感じているのなら、僕はそれは偏った報道による、偏った意見だと思う。

僕も混乱の原因を詳しく知っているわけではないけれど、宗教が、それを信じている人々が、根本的な争いの原因になるというのは、違う気がするんだ。

ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、仏教。いろんな信仰を持つ人と出会った。

いつだって、宗教は人々の生きる糧で、信じる人を強く、優しくて、社会に包容を与えていた。
宗教はそういう風に出来ていた。

結局、国と国との争いや、政治を揺るがす内乱なんて、人間のエゴとエゴのぶつかり合い。宗教間の争いなんて、都合の良い後付の理由に過ぎない。その表面だけを鵜呑みにすると、本当に宗教間でいがみ合ったり、宗教を蔑んだりする空気が生まれるんじゃないかな。

その裏に隠れてる、いや、意図的に隠されている狙い。人間の欲望。それは何なのか。色んな情報を得よう。

それが分かったからなんだ。
何の解決にもつながらないし、僕にできることなんて何もないかもしれない。ただその欲望の渦に飲まれたり、遠くから眺めたりするだけで、余計に苦しくなるだけかもしれない。

でも偏った浅はかな判断で、あの宗教が悪いとか、あの人種が悪いとか言ってたら、今度はそれがほんとに根本になって、肥大した欲望と絡み合って、取り返しがつかなくなりそうで、怖い。混乱してる今だからこそ、知って、認め合う時なのだと思う。

もうすぐ5ヶ月

久々の投稿。
イランから何も書いてなかった!

これまでのブログは、毎日色々感じたり、小さな発見がある中で、特別にビビっと来た感覚や考えを書いてきたんだけど、ここから先はもう少し気を緩めて、滞在していた街の様子や、旅の情報を発信して行こうかなと思っています。

旅中の情報収集で、何よりも力になるのが、ガイドブックでも、外務省のHPでもなく、実際にその国に訪れた人の情報ノートやブログ。僕も既に何度も助けられました。
僕の経験や、僕が得た情報も、ただ僕の中だけで終わるよりも、誰かの助けになったら、これほど嬉しいことはありません。
今更ながら情報を記録しておくことと、それを発信して行くことって大事なんじゃないか?!と思い、Twitterも活発にやろうかな!と意気込んでいます。

さらには、今は人と一緒に回っているので、良くも悪くもあまり考え込まずに、楽しもうぜ!みたいなノリにあって、今まで書いてきたようなネタが浮かばないのも理由の一つです。

もちろんまた何か特別に思うことがあればここに記して、より濃いブログになればいいかななんて思った。

さてとりあえず、イランを出て僕は、
トルコ→ブルガリア→ギリシャ→マケドニア→セルビア(now)です。
いつの間にかアジアを終えて、ヨーロッパに入っています。

ヨーロッパは今のところ非常にイージー。
国境は全部バスの中で待ってれば運転手が済まして来てくれる!
東は物価も安くて最高です。

こんな久々に満たされた中で、次の大陸アフリカについて調べれば、俄然やる気が無くなるのも当然ですね。

ビザが面倒、賄賂が高い、政情が不安定、治安が悪い、黒人が強いなど、調べれば挙がるものは不安要素ばかり。
無意識に、スペインからの帰国の便を調べちゃうほど。

とりあえず今の段階で決めた西アフリカルートを掲載するぜ!

モロッコ
西サハラ
モーリタニア(ビザ@スペイン、モロッコ)
セネガル(ビザ@ネット?要調査)
ガンビア(ビザ@セネガル国境)
ガーナ(ガンビアからフライトイン。ビザ@セネガル)
トーゴ(ビザ@国境)
ベナン(ビザ@国境、アクラ)
カメルーン(ベナンからフライトイン。ビザ@空港)
ガボン(ビザ@カメルーン)
南アフリカ(ガボンからフライトイン)

なに?モロッコと南アフリカ以外知らないって?僕もだぜ!

早速ここで、僕に情報発信の使命が課せられた。
というのは、上のリストにあるセネガル。この国、西アフリカでは唯一?日本人観光ビザ不要の国として、西アフリカでは人気(誰に?)の国だったんだけど、なんと今年の7月(2週間前)からビザが必要になったぜ!
めんどくせっ
もちろんビザ取得情報はまだ皆無に等しい。
セネガルビザ海外取得パイオニアに、なってきます!

2013年6月9日日曜日

砂漠とトカゲとフンコロガシと僕

イランの中央、不毛の大地に囲まれたオアシス都市、ヤズド。古き良き雰囲気の残る旧市街は、土壁の低い家が並んで、道を複雑に絡ませる。面白そうな方へ、歩いて、迷って、突然小路から飛び出してくる子どもと挨拶を交わすのは、ヤズドの一つの楽しみ方だ。

街は小さく、メナーレが青空に突き刺さる歴史的なマスジェデや、人々の生活を支え続けるバザールも、歩いて回ることが出来るが、近郊にも魅力的な見所が在る。

ゾロアスター教徒の墓地の跡、「沈黙の塔」。土や火を神聖なものとした彼らは、土葬や火葬はそれらを穢すものとし、この地で鳥葬を行った。遺体を鳥に食わせたのだ。
その他にも、ヤズドとその近郊には、ゾロアスター教徒の歴史を知るうえで、重要な場所がいくつかある。そして彼らの後裔は、今なおこの地で暮らしていたりする。

しかし、実のところ、僕はそのどれも訪れなかった。
僕がこのヤズド近郊で、最も惹かれて、そして足を運んだ所は、今までどんな人間も、そこに歴史を築こうと思わなかった、砂漠であった。

インド、ウズベキスタン、UAE、オマーン。いろんな所に、砂漠はあった。どこにも僕の足跡を残すことはなかったけれど、何故かこのペルシャの地で、砂漠に足を踏み入れたくなったのだ。

タクシーをチャーターして、ヤズドから100km離れた砂漠を目指した。といっても、ヤズドの街を出てしまえば、景色はすぐに物寂しそうな砂漠になる。けれどそれは、砂利と岩山でつくられた、なんとも色気のないもので、時速120kmで進む道中は退屈だった。

ナツメヤシの木が茂る、小さな村を抜けて、車は止まった。後部座席の窓から除く限り、僕らを囲うのは相変わらず頑固そうな砂利砂漠。まさか、このいささか面白みに欠けた荒野をひたすら歩くわけじゃなかろうかと、疑いながら車を降りると、開けた前方の視野に、突然、細かな砂粒から成る砂漠が飛び込んできたのだ。

優しく、柔らかにうねる砂丘が幾重にも重なる。僕の足は意識よりも早く、一番高い丘に向かって歩き出していた。

風がつくる砂山とその肌の模様。そこに暮れ始めた日の光が降り注ぐ。風の向き、日の傾き、砂漠は生きているかのように、動いていく。姿を変えていく。僕の足跡は、それに飲まれていった。

丘のてっぺんに立って、辺りを見渡せば、僕の歩みを重くした砂山のその美しさに、疲れは癒される。ツンデレ女に弄ばれているようだけれど、その美貌は見惚れてしまうほどだった。

ただの砂地に、当然の自然の摂理が働くだけで、僕は美しいと感じてしまう。

足音も立てずに這う、フンコロガシの目には、この砂漠はどう写るのだろう。滑るように走るトカゲの目には、この夕日はどう写るのだろう。
いつものことだと、当たり前のことだと、息をするように受け止めているのだろうか。

僕は、こんな当たり前の現実が美しい。息を飲むほど、涙をおぼえるほど、美しいのだ。

人に揉まれ、時代に流され、僕は汚れてしまったのだろうか。
もしそうだとしたら…

汚れゆくことも、悪くないと思えた。
当たり前のことに、無知でありたいと思えた。


イラン人は偉大なり

"Welcome to Iran"

街を歩いているだけで、すれ違いざまに、暖かく迎え入れられる。
こちらも笑顔を返さずにはいられない。

人々のホスピタリティが、空気にまで染み付いているような、イランはそんな国だ。

意味もなくキャンディをくれたり、丁寧にバスの乗り方を教えてくれたり、時には車で送ってくれたり。思いやりに胡座をかくことが、くせになってしまいそうだ。

なんとなく中東だからとか、核兵器を保有している疑惑があるだとかで、「危険な国」と判断されがちなイラン。しかし実際訪れてみれば、こんなに安全で、旅人に優しい国が、他にあるのだろうかと思う。都合よく切り取られた、ほんの一面だけを見て、全体を判断してしまうことの愚かさを思い知らせてくれる。

Islamic Republic of Iran。国の法律や制度にまで、宗教に因る所があるこの国は、もちろん人々の信仰心も強い。サラートの時間には、家の中でも、公園でも、メッカに向かって祈りを捧げる。金曜日には多くの人がモスクを訪れる。日本では宗教というとマイナスのイメージが強いけれど、これだけ素直に宗教の教えを信じ、それに従う人々の姿をみると、彼らの優しさは、イスラム教に起因するものなのではないかと思ってしまう。

しかし、もちろん中には宗教の枠に収まることを嫌う人もいる。

シーラーズで建設会社に勤める男性と話した時のことだ。

「お前はどの宗教の信者だ?」

日本の外に出れば、先ず聞かれるありふれた質問だ。僕も旅の途中で数多くの人から尋ねられ、定型文のように、答えは用意されていた。

「僕は無宗教だ。日本では仏教や神道の側面をみることができるけれど、多くの人はそれを信仰しているわけではなく、無宗教だよ。」

すると彼は笑いながら、

「最高だな。俺もイスラム教なんて糞食らえだと思ってるよ。ロクに女の顔も見れないしな。」

と言った。やっぱりこんな人もいるんだなと、スカーフが乱れた女の人の髪を見るたびに奇妙な罪悪感を抱いていた僕は、少し安心した。
けれど、次の彼の質問に、僕は漫画のように、意表を突かれてしまった。

「でも神は信じる。お前もそうだろう?」

僕の頭には何も浮かばなかった。僕にとってそれはあまりにも斬新で新鮮なアイデアだったから。

「僕は…。」

きっと神様を信じていない。だけど、「宗教=神を信じること」だと無意識に決め付けていた僕にとって、「宗教は信じないけど、神を信じる。」というテーマを前に僕の思考は混乱に落ちた。

それは一体、どういうことなんだろう。彼の言う「神を信じる」ということは、どういったことなんだろう。

僕はこの旅を通して、神の存在を認めるようになった。けれど、神の言うこと為すことに従おうとは思わない。何にしたって自分の感覚を信じて生きていきたい。でも…。

「わからない…。」

何も聞けず、何の答えも出ず、ただ弱い声が漏れた。
そこからこの話が弾むことはなかった。




そんな少しアウトローな彼も、僕への敬意と気遣いには頭が下がるばかりだった。当たり前だけど、信仰心の強さ=ホスピタリティの高さというわけでもないようだ。
なぜこんなにも、何処の馬の骨かもわからない、彷徨える訪問者に、まるで親のような、兄弟のような心を持つことができるのだろうか。

テヘランで僕のホームステイを受け入れてくれた男性の家族を訪問したとき、彼らは生粋のムスリムだったけれど、その疑問に対する、シーラーズの彼とのやりとりにも綺麗に辻褄の合った答えを、彼の言葉の中にみつけた。

"Guest is a friend of God"
「客人は神様の友達」

なるほど。


きっと、「神を信じること」は、この国で生きていくうえで、イスラム教徒であるとか以前に、最も重要なことなのだ。その理念は、無意識のうちに、多くの人々に浸透していて、さらにその上で、あらゆる人種や出来事を受け入れることができる考えが存在している。
神を信じていれば、寛容な人間になることができ、結局神を信じていない人も、窮屈することなく暮らせる。

神は、争いを防ぎ、生活と平和を円滑にするために、誰かの中に存在している。
ここまで多くの人の中に居るのは、ただ神の偉大さだけによるものではなく、やはり人による宣教や政治の賜物ではあるのだろうけれど、、、

やっぱり凄いですね、神様、あなたは。
仲良くしようぜ!